(※写真はイメージです/PIXTA)
「投資」は「投機」になった
高橋さんは銀行の商品を一部解約し、ネット証券へ資金を移しました。最初は米国の大手企業の個別株でした。そこで利益を得ると、値動きの大きいAI関連銘柄やレバレッジ型ETFにも手を広げます。
SNSやYouTubeでは、「インデックス投資だけでは資産は増えない」「資産を築く人は、成長株で勝負している」といった動画を毎日のように見るようになりました。最初は数十万円の利益が出ました。
「やっぱり銀行は慎重すぎたんだ」
そう思った矢先、大きな相場の下落に巻き込まれます。含み損は一気に約200万円まで膨らみました。
「戻れば売る」
そう思いながら、高橋さんは相場を見続けました。しかし、株価は戻りません。損失は320万円、450万円と膨らんでいきます。それでも売る決断はできませんでした。「ここで売れば、本当に損になる」と考えたからです。
毎朝6時には米国市場の終値を確認し、昼は経済ニュースを読み、夜は投資系YouTubeを見る生活になりました。妻との会話は減りました。代わりに増えたのは、「次は上がる」という根拠のない期待でした。
ある動画では、こんな言葉が繰り返されていました。
「暴落は買い場です。資産を築く人は、みんな下落局面で買い増しています」
高橋さんは、その言葉を信じました。銀行に預けたままにしていた退職金の一部を取り崩し、300万円を追加で投資します。「平均取得価格を下げれば、少し戻っただけでも損失は取り返せる」と考えたのです。
ところが、市場はさらに下落しました。焦った高橋さんは、さらに200万円を追加で投じます。「ここまで下がれば、さすがに底だろう」と自分に言い聞かせながら、買い増しを続けました。しかし、相場は期待どおりには動きませんでした。評価損は800万円を超え、資産はみるみる目減りしていきます。
久しぶりに会った友人の中田さんは、高橋さんの話を最後まで黙って聞いたあと、静かに口を開きました。
「お前、最初は老後資金を守るために始めたんだろ」
高橋さんは黙ったままでした。
「今のお前は、損を取り返すために売買してる。それは投資じゃない。投機だ」
高橋さんは「勉強したんだ。もう少し待てば戻る」と言って首を振りました。しかし、その言葉に根拠はありませんでした。最終的に損失を確定させた時点で、退職金2,400万円のうち約1,200万円が失われていました。
現在、夫婦は65歳から受給予定の年金を前提に生活設計を見直しています。毎月の支出は月8万~10万円ほど圧縮しました。予定していた自宅のリフォームは延期し、毎年楽しみにしていた夫婦旅行も取りやめました。
金融庁『金融サービス利用者相談室』に寄せられる相談を公表し続けている背景には、投資商品の仕組みを十分理解しないまま運用を始める人が少なくない現実があります。
高橋さんは、投資そのものを後悔しているわけではありません。
「銀行で勧められた投資信託を、そのまま持ち続けていればよかった」と振り返ります。投資と投機を分ける境界線は、商品ではありません。「もっと増やしたい」「損を取り返したい」という気持ちが冷静な判断を上回ったとき、その境界線は静かに越えられてしまうのです。