子どもをのびのび育てたい。庭のある広い一戸建てがほしい。平成初期は、都心を離れ郊外に戸建ての家を買うことが、多くのサラリーマンの憧れだったと思います。通勤は片道1時間半。始発に家を出て、深夜になって帰宅する。そして数時間眠ってまた始発の時間には駅のホームに立っている。その繰り返しの生活は、郊外に家を買ったサラリーマンにめずらしくありませんでした。寝顔ではない子どもを見るのは週末だけ。その週末ですら接待のゴルフや休日出勤で潰れてしまうことも度々ありました。マイホームを買ったものの、そこで過ごす時間はごくわずか。なかには、自分の家だというのに、給湯器のボタンがどこについているのかさえわかっていない男性もいたほどです。その世代もいま、定年退職のときを迎えています。あの時に頑張って買った郊外のマイホームでの生活は、定年後のいま、どのようなものになっているのでしょうか。最高年収1,200万円、現在62歳のKさんの事例をご紹介します。※個人の特定を防ぐため、事例は一部脚色しています。
「ただ寝に帰るだけの27年間だった」年収1,200万円の62歳会社員の哀愁。通勤往復3時間半で守った〈郊外の広いマイホーム〉で、定年直前に直面したまさかの事態【FPが解説】 (※画像はイメージです/PIXTA)

身体の衰えとともに住めない街に

65歳の定年退職まであとわずかにして、夫Kさんは身体のあちこちに不調を覚えるようになりました。まずは膝です。慢性的な痛みを抱えるようになり自宅の階段の昇り降りが億劫になりました。最近では1階のリビングと寝室だけで生活を完結させるようになっています。

 

さらに、目がよく見えないのです。数年前に緑内障と診断されてから、視界が狭くなり、車の運転が危ないと思うようになりました。高齢者の自動車事故の報道をみるたび、子どもたちが電話をかけて来て、「早く免許返納してくれよ」というのです。

 

しかし、車がないとスーパーに行けません。移動スーパーやスーパーの宅配サービスはあるのですが、店で買うより割高です。そう思い、慎重に運転を続けていますが、病気には勝てません。定年退職を前にして免許返納をすることになりそうです。

 

そんなある日曜日、ダイニングテーブルの上に妻が読みかけて置いたままの雑誌が目にとまりました。なにやら付箋が貼ってあります。それはこんな記事でした。

 

「夫の定年退職後に離婚し、財産分与・そのロードマップ」

 

「おいおい」とつい口に出す夫Kさん。定年退職金が入ったら財産分与をして離婚する魂胆なのかと驚きました。

 

(お金を受け取って、妻はもっといい場所に引っ越したいのかもしれない。でも、そんなことをされたら俺は老後生きて行けない……)

 

夫Kさんは、家を売ることを考えました。もうこんな広い家は必要ないし、体調のこともあって物理的に住み続けるのが難しい状況。まだ築年数は古くはないし、それなりの値段で売れるだろうと、不動産会社を土日に訪問することにしました。

 

ずいぶんと昔の話ですが、購入時、住宅メーカーの担当者は「このエリアは人気ですから資産価値も落ちにくいですよ」といっていたはずでした。

 

しかし、提示された査定額を見て驚きました。土地値の相場の半分の価格なのです。最近住宅ローンが終わったばかりだというのに、たった数百万円にしかならないとは……。

 

「土地の相場よりも低いじゃないですか」夫Kさんは不動産会社の担当者に質問します。

 

不動産会社がいうには、そもそも人気のない立地だということ。多くの人が売りに出しているが数年間売れていない人がほとんどだそうです。

 

「いまの若い共働き世代は、職住近接の駅近マンションを圧倒的に好みます。駅からバス利用で敷地も建物面積も広い郊外の戸建ては、一番買い手がつかないんです。建物自体も築30年ちかくとなると評価はゼロ、解体か大規模修繕が必要な時期です。買い手が見つかったとしても、解体費は売主負担として交渉されるでしょう。解体には250万円程度かかります。リフォームしてから売るとしたら、最低でも1,000万円の工事費は必要です」

 

不動産担当者は、「もし地中杭があったとしたら撤去費も百万円以上かかります。売却は止めて住んだほうが得ですよ」と続けます。

 

転居計画は、音を立てて崩れ去りました。

 

妻のそのことを話すと、「ふーん」とそっけない返事。「売れるわけがないよね」といいます。口ぶりから、妻は妻で査定をしてみたことがあるのかもしれません。

マイホーム購入時における出口戦略の重要性

27年間、往復3時間半の激務に耐え、家族のために真面目に働き続けて手に入れたはずのマイホームが、人生の最終盤において、自分たちの生活をこの土地に縛り付ける呪いになりました。

 

実のところ、地方ではKさんのようなケースが増えています。住むに住めない、手放すに手放せないというマイホームは珍しくありません。

 

「マイホームは一生に一度の買い物であり、そこに一生住み続けるもの」

 

昭和から平成にかけて作られたその常識は、ライフスタイルの変化と少子化・超高齢化社会の前であっけなく崩壊しています。かつては一度買った家を終の棲家にするのが当たり前だったはず。しかし、その住宅地、その街自体が崩壊するかもと想像した人は少なかったでしょう。

 

現代でも、「売らないんだから資産価値は関係ないよね」と、土地の安い郊外に家を買うひとはいます。しかし、30年後、そこは人が住める環境でしょうか。急速に人口減少が進む日本では、東京都心以外は「消滅可能性」を指摘される自治体がたくさんあります。土地と建物は残るかもしれませんが、街が残らないのです。

 

いまの日本社会では、住宅は終の棲家にはなりにくいというのが現実です。出口を意識することが大切なのです。「65歳になったらこの家はどうするか?」という質問をしても、意味がわからない人のほうが多いでしょう。老後も住むと常識のように考えているとしたら、ちょっとリスクがあるかもしれません。

 

夫Kさんと妻は話し合って、いまのマイホームを解体してから更地にして売却することにしました。これまで貯めてきた預貯金とこれから入ってくる退職金、合わせて8,000万円ほどがある計算なので、それで都心寄りの場所に中古マンションを買うことに。

 

2LDKの狭いマンションですが、車を手放しても生活できます。病院も近く、なにより妻は友達に会いやすい。子どもたちも頻繁に家に帰ってくるようになりました。妻とはまともな会話がないままですが、新しい住処で少し機嫌がいい様子です。

 

「家を建てたときはあれが正解だったが、いまとなっては都心に新築マンションを買えばよかったな」

 

夫Kさんはそう考えては少し落ち込みます。子どもとの時間は無駄にしたという思いが強いのです。子どものために頑張ってきたが、子どもの成長を見逃し、あげくに家は解体することに……。「なんのために頑張って来たのかわからなくなった」と零していました。

 

家を買うときには20年後、30年後の出口を意識しないといけない時代のようです。

 

 

長岡理知

長岡FP事務所

代表

 

 

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