(※写真はイメージです/PIXTA)
「あれ」「それ」で通じる毎日…気づかなかった脳の“サビ”
60歳で長年勤め上げた会社を定年退職したトモヒロさん(仮名/62歳)。現役時代の蓄えと退職金が実を結び、夫婦の預金通帳には7,000万円という十分すぎる老後資金が残されていました。
「これからは、自由気ままに暮らそう」
そう決めたトモヒロさんは、身だしなみを整えることをやめ、顎には無精ひげをたくわえるようになりました。気がつくと、ひげも白くなっているものが増えていったといいます。
「妻にも『だらしないから剃ってよ』と何度も言われていたんです。ただ、毎日妻にしか会わない生活でしたし、誰に見られるわけでもないからいいや、と聞き流していました」
金銭的な不安はあまりなく、時間だけが無限にある生活。まさに悠々自適な「無職満喫生活」をスタートさせたトモヒロさんの毎日は、穏やかそのものでした。朝は目覚まし時計をかけずに起き、テレビやYouTubeを眺め、ネットサーフィンをし、気が向けば散歩に出かける日々が続きます。
日々の生活のなかで、会話をする相手といえば妻だけでした。長年連れ添った夫婦ゆえに、多くを語らなくても意思疎通ができてしまいます。
「『それ取って』『あれ、どうなった?』とか、そんな(笑)。あれ、それだけで会話が成立するんです」
この「あれ」「それ」だけで何不自由なく会話が成立してしまう環境が、トモヒロさんの脳を少しずつ鈍らせていました。毎日が日曜日の心地よさに浸っていたトモヒロさんは、自分の言葉や脳がサビつきはじめていることに気がついていなかったのです。
元部下との再会で経験した恐怖
そんなトモヒロさんが危機感を持つ出来事が起こります。ある日、近所の駅ビルを歩いていたとき、現役時代の元部下と偶然、再会したのです。
「お久しぶりです!」と駆け寄ってくる元部下に対し、トモヒロさんも「久しぶり」と応えました。しかし、その後に続けようとした言葉が、どうしても喉の奥から出てこなかったそう。
「元部下の近況を尋ねたいのに、プロジェクト名や共通の知人の名前、果ては簡単なビジネス単語すら、頭の中で霧がかかったようにモヤついてスッと出てこないんです。自分では必死に『あ、あー……うん。ところで、ほら、あのときの……あの件、どうなった?』と、どうにか言葉を絞り出そうとしました。怪訝そうな顔をする元部下を前にして、冷や汗が流れましたよ」
別れを告げたあと、トモヒロさんの胸には恐怖と焦燥感が突き刺さっていました。
「言葉が全然出てこなくなっている自分に、ものすごいショックを受けました。このまま家で引きこもって時間を潰していたら、一気にボケてしまうんじゃないかと、本気で怖くなったんです」
長年連れ添った妻との「あれ、それ」で通じる甘えが、自分をここまで退化させていたという現実。鏡に映る、白い無精ひげを生やした自分の冴えない顔を見つめながら、トモヒロさんは「このままではいけない」と、それまでの怠惰な生活を猛省したといいます。