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思う職には就けず、奨学金の「猶予申請」を繰り返した20代
Aさんが就職活動をしたのは2015年前後。リーマン・ショック後の回復期ではあったが、文系の、しかも「あまり偏差値の高くない大学卒」という厳しい現実を前に、学歴フィルターや就活の壁が立ちはだかった。希望する職種や企業からは色よい返事をもらえず、いくつか内定を得たものの、“思っていたのと違う”と感じる仕事内容のものばかり。結局、しっくりくる仕事がみつからず、ここでもまともに相談できる人もみつけられないまま、卒業の時を迎えてしまう。
ここから、契約社員や非正規雇用として働きながら自分の方向性を模索する、不安定な20代が始まる。
収入は不安定で生活費を工面するだけで精いっぱい。奨学金の返済が始まったが、Aさんは返還猶予の申請を繰り返した。この制度を利用すれば、確かに一時的に返済を止めることができる。困窮する時期の生活を支える、極めて重要なセーフティネットであることは間違いない。
ただ、この「返済が止まる」という確かな安心感が、結果として長期的なライフプランの課題をみえにくくしてしまう側面もある。猶予されている期間中も元金が減るわけではなく、負担を将来の自分へ委ねている状態に変わりはない。しかし、日々の支払いに追われない安堵感のなかにいると、まだみぬ未来の負担にまで想像力を働かせ、具体的な対策を講じることはどうしても難しくなっていく。
「猶予を使えばその場はしのげます。元金はそのままだということはわかっていました。とはいえ、目の前の生活をどうにかしなければならず、先のことを考える余裕がなかったんです。あのころの自分を責める気持ちもあるけど、ほかにどうすればよかったのかも、正直わからなくて。大学のときにだまし取られたお金があればなぁ、とは考えました」
転機になったのは、ネットでみつけた日本語教師の仕事だった。「人と話すのが苦じゃないなら向いてるのでは?」という軽い理由に過ぎなかったが、それは、“なにかを変えなければ”ともがいていたAさんにとって、初めて現実的に手が届きそうだと思えた選択肢だった。
Aさんは契約社員の仕事を続けながら勉強し、日本語教育の資格を取得。現在は都内の日本語学校で非常勤講師として働いている。仕事にはやりがいを感じているものの、非正規雇用という雇用形態を抜け出せたわけではなく、収入も十分に安定しているとはいいがたい。32歳になったいまも、20代のころに先送りし続けた奨学金の返済は当時の額面のまま、変わらずそこに残り続けている。
返済が続くなか、近づく「親の介護」の足音
綱渡りの生活を続けるAさんのもとに、近年、もう一つの重い現実がのしかかるようになった。地元でひとり暮らしを続けている母親の存在である。
「母が持病を抱えていて、体調が不安定になってきました。いますぐなにかしなければという状況ではないけど、このまま歳を取っていったらいずれ自分が動かないといけない。きょうだいもいないし、頼れるのは自分しかいない」
地元までは東京から飛行機でおよそ2時間かかる。もし本格的な介護が必要になれば、仕事を減らすか、あるいは地元へ戻ることを考えなければいけない局面も来るかもしれない。しかし自分自身の経済的な基盤は脆く、奨学金の完済の目処は立たず、自身の老後に向けた蓄えもまったくできていない。
「返済がまだある、貯金もできていない、母のことも心配――全部ひとりで抱えるしかないと思うと、夜中に突然息苦しくなって目が覚めることがあります。誰かに相談できるかというと、なかなかそういう相手もいなくて」
「なんとか生活が回っている」というAさんだが、その実態は、猶予という応急処置によって決定的な決壊が先送りされているだけであり、人生設計の土台はとうに大きく崩れている。