就職氷河期を正社員として生き抜いた層にとって、2000年代の低物価社会は、皮肉にも最も「暮らしやすい」時代でした。しかし、そのデフレを謳歌した日々は、実は未来の自分たちから「備え」を前借りしていたに過ぎません。今回は、55歳のTさんの事例から、正規雇用の「勝ち組」就職氷河期世代の実態を紐解いていきます。※個人の特定を防ぐため、事例は一部脚色しています。
月収51万円・55歳サラリーマン、コンビニで「千円札」を出すのをためらったワケ…「デフレを謳歌した氷河期世代」が老後直前に突きつけられる非情な現実 (※画像はイメージです/PIXTA)

投資に対する誤解…思い込みが招いた、残酷な格差

氷河期世代の最も深刻な弱点は、消費生活が安定していたことの裏返しとして、資産形成の感覚がまったく育たなかったことにあります。Tさんはその典型。「投資なんて、楽して儲けたい人間がやることだ」と、Tさんは同期が株式投資を始めたと聞いても、鼻で笑いました。株なんてマネーゲームだ、カネをおもちゃにして遊び、自分は賢いと思いたい奴らだろう、そう嘲笑っていたのです。

 

これはTさん一人の問題ではありません。氷河期世代の多くが、資産形成について誤解を持っていました。特に、彼らが働き盛りでようやく少し貯金ができた30代半ばに直面した、2006年の「ライブドア・ショック」の記憶が、その心理的なブレーキを決定的なものにしました。低賃金に喘ぐ同世代のなかで、一発逆転を狙ってネット証券に手を出した者たちが、粉飾決算という裏切りによって一夜にして資産を失う惨状。それこそが、Tさんの目に焼き付いた「投資の正体」でした。

 

「時代の寵児」と煽られたベンチャー企業が脆くも崩れ去る光景は、氷河期世代に「投資は、自分たちのような真っ当な人間が関わるべきではない世界だ」という教訓を骨の髄まで叩き込んだのです。その結果、彼らは「普通預金でコツコツ貯めること」だけを唯一の絶対的正解として、その後20年の資産形成チャンスを自ら封印してしまいました。

 

しかし現実には、Tさんが投資を嘲笑っていた約20年間、同じ時期に株式市場のインデックスへ毎月3万円を積み立てていれば、現在の評価額は2,000万円を超えていた計算になります。実際に会社の同期にはコツコツ投資信託を続けていた人がいて、現在の運用資産は7,000万円だそうです。それに退職金と貯蓄を加えたら、1億円を持って引退生活に入ることになります。自宅マンションも値上がりしていて、売却すると8,000万円くらいにはなるといいます。

 

同期は「もっと投資を勉強していたら、早くに会社を辞められたかもしれないね」と残念そうに語る同期の隣で、預貯金700万円・賃貸住まいのTさんは、ただ立ち尽くすしかありません。

自らの首を絞める「会社一筋」の労働観

Tさんの世代が持っていた労働観も、自分の首を絞めています。

 

起業した同級生のことは、どこか危ういものをみるような目でみていました。「この不安定な時代に、わざわざ組織を飛び出すなんて。一度レールを外れたら終わりのドロップアウト組だ」と。副業も同様に「本業の地位を危うくするようなリスクを冒す人間のやること」と一蹴。「それに就業規則違反だろう。この時代に自分から解雇の隙を与えるなんて、正気の沙汰ではない」そんな懸念も。また、転職を繰り返す大学の後輩を「いまの場所を耐え抜かなければ、次はないぞ」と評し、突き放す……。

 

彼らが「会社一筋、まじめにコツコツ」を貫いたのは、会社が自分を一生守ってくれると信じていたからではありません。むしろその逆です。大企業すら明日をも知れぬ倒産ラッシュを目の当たりにし、「一度でも正社員という椅子を手放せば、二度と敗者復活はできない」という強烈な強迫観念が、彼らを一つの場所に固執させたのです。「正社員でさえいれば、最悪の事態だけは免れるはずだ」そう自分に言い聞かせ、周囲の挑戦を否定することで、自分の「しがみつき」を正当な生存戦略だと思い込もうとしていたのです。

 

しかし、ご存じのとおり、こうした「守り一点張り」の労働観こそが、結果として彼らを最も無防備にしました。

 

ドロップアウト組とみていた起業家の同級生は、組織に頼らず生き抜く術を磨き続け、いまや年商数億円の会社の代表として活動的な生活を送り、「規則違反だ」と遠ざけてきた後輩は、週末のコンサル業で複数の収入源を構築している。「耐え抜くことが正解」と信じてきたTさんの横で、転職組は市場価値を上げ続け、3倍以上の年収を手にしている――。

 

Tさんが30年かけて守り抜いてきた「正社員という唯一の盾」は、外部環境の変化に対してはあまりにも脆いものでした。20代の後半、大学の同期と会ったとき、こういわれたのを覚えています。

 

「会社という傘のなかにいれば、いまは濡れずに済むだろう。でも、その傘自体がいつまでも持つとは限らない。外で濡れながらでも歩く練習をしておかないと、傘が壊れたときに立ち往生するぞ」

 

Tさんは当時、それを「持たざる者」の負け惜しみ、あるいは自分を不安にさせる不吉な予言として、無理やり記憶の隅に追いやったのです。