(※写真はイメージです/PIXTA)
「私たちが死んだあと、この子はどうなるのか」
ミサさんが絶望しているのは、娘が大学に行けないことではありません。「自分が死んだあと、この子は一人で食べていけるのか」という不安。
「一度、スマホの使用ルールを作ったことがありましたが、隠れて使っていて、すぐにうやむやになってしまったんです。あんなに意思が弱くてこの先どうするのか……」
ミサさんは現在63歳。サラさんが30歳になるころ、ミサさんは75歳です。人生100年時代とはいえ、教育費の負担が人生の後半に来たことから、老後資金にゆとりがあるとはいえない状況です。今後、自分たちの年金と細りゆく貯蓄で、いつまでこの「自分に甘く、理想だけが高い娘」を支え続けられるのか。
「夫は『まだ18歳じゃないか、見守ろう』と悠実なことを言います。でも、私は違う。45歳で産んだからこそ、この子の自立を急がせなければならなかったのに。甘やかして育てた結果、彼女から『困難に立ち向かう忍耐』を奪ってしまったのではないか……」
予備校に振り込んだ100万円。それは単なる学費ではなく、ミサさんが娘の未来に繋いだ手綱のつもりでした。それがスマホ依存という安易な逃避によってどぶに捨てられた瞬間、ミサさんは自分の子育てそのものが「失敗」と宣告されたような、底知れぬ虚無感に襲われたのです。
高齢出産というの先に待つ、自立の難しさ
サラさんのような「自立の遅れ」や「挑戦への回避」は、近年の公的調査でも顕著に現れています。
内閣府『令和5年版 子供・若者白書』では、日本の若者は諸外国(米・英・仏・独・韓)と比較して、「自分には長所がある」と答える自己肯定感の割合が最も低く、自分に自信を持てないまま大人になる実態が報告されています。
国立社会保障・人口問題研究所『第16回出生動向基本調査(2021年)』によれば、親と同居する未婚者の割合は依然として高い水準にあり、経済的・精神的な自立が後ろ倒しになる「心理的猶予期間(モラトリアム)」が長期化している現状が示されています。
現代社会において、晩婚化や不妊治療の普及により、40代で出産を迎えることは決して珍しいことではなくなりました。慈しみ育て、子どもに十分な教育環境を与えたいと願う親の姿は、家庭の一つの象徴でもあります。
しかし、高齢で授かった「たった一人の宝物」であることも、親子の距離感は難しくなっているのかもしれません。 親が先にいなくなるまでの時間が限られているため、親の焦りが子どもへの無言の圧力になり、結果として子どもが他責という防衛本能を強めてしまったり、大切にするあまり、失敗や苦労を親が排除し続けた結果、子どもが自力で壁を乗り越える力を鍛える機会を失ってしまったり。
ミサさんのような悩みは、愛情深く子どもを育ててきた多くの親たちが静かに抱えているものです。「どぶに捨てた」と感じるほどのいまの思いは、もしかすると娘が自分自身の「甘え」を自覚し、親というシェルターから一歩外へ出るための、避けては通れない痛みなのかもしれません。
いま、ミサさんに必要なのは、予備校へ行かせるための説得ではなく、娘を「一人の責任ある大人」として扱い、彼女が負うべき責任を彼女自身の手に返してあげる、最後の勇気なのかもしれません。
【注目のウェビナー情報】
【国内不動産】4月25日(土)オンライン開催
【短期償却】4月28日(火)オンライン開催