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「相続放棄しろ!」母の言葉に、息子は絶句
しかし、和子さんは強く首を振りました。思い出の詰まった場所をお金に変えるという発想は皆無だといいます。議論は平行線を辿り、和子さんの言葉は次第に棘のあるものに変わっていきます。
「私が生きている間にこの家を処分しろと言うのであれば、もう二度とここには帰ってくるな。家を継ぐ意思がないのであれば、遠縁の親戚に譲渡するから相続放棄しろ」
もちろん、相続放棄は被相続人の死亡後に家庭裁判所へ申述することで成立する制度であり、生前に親が子に対して強制できるものではありません。和子さんの発言は、法的効力を持つものではなく、感情的な意思表示に過ぎないのが実情です。和子さんはそれ以上の対話を拒み、奥の和室へ引きこもってしまいました。
数日後、一郎さんのもとに和子さんの知人を名乗る人物から連絡が入りました。和子さんが周囲に対し、「息子には家を継ぐ資格がないため、法的に相続させない方法を教えてほしい」と具体的に相談し始めているという内容でした。生前の段階で特定の相続人の権利を完全に排除することはできません。現実的に取り得る手段は、遺言書によって財産の承継先を指定することなどに限られるでしょう。実家を巡る母との認識の差が、もはや対話で埋まるものではない――。現在、実家の管理責任だけが宙に浮いたまま放置されています。一郎さんのもとには、現在も和子さん本人からの連絡はなく、第三者を介した要求だけが突きつけられている状況です。
「負動産」化する実家と、加速する空き家問題
総務省『令和5年住宅・土地統計調査』によると、全国の空き家数は900万戸と過去最多を更新しました。
なかでも、賃貸・売却用などを除いた「その他の住宅(居住実態のない放置された家)」は385万戸に達し、全住宅戸数に占める割合は5.9%と、1993年の約2.5倍にまで増加しました。
実家を維持し続けることが困難になる背景には、建物の老朽化に伴うコストの増大があります。国土交通省『民間住宅補修等実態調査』などを参照すると、戸建て住宅の適切な維持管理(外壁・屋根塗装、給湯器交換、防水工事など)には、30年間で平均して約400万~600万円の費用が必要と算出されます。
月12万円の年金で生活する和子さんのような世帯にとって、数百万円単位の修繕費捻出は困難です。結果として建物の資産価値は急速に下落します。
”負動産”と化した実家を相続することは、家族にとって大きな負担となります。だからといって放置しておくと、2024年4月からの相続登記義務化により、10万円以下の過料リスクに加え、固定資産税の増大や建物の老朽化による事故責任、売却不能(資産凍結)など、数々の深刻なリスクを招きます。
また売却しようにも建物がある状態では難しく、解体を余儀なくされることもあります。その際にも150万~300万円といった多額の解体費用の負担を考えなければなりません。
現実的な選択肢としては、「生前に売却し、老後資金に充てる」「解体のうえ土地として処分する」「遺言書によって承継先を指定する」などといったところ。いずれも当事者間の合意が不可欠であり、感情的対立が深まるほど実行は難しくなります。
実家をめぐる問題は、単なる不動産の損得勘定ではなく、親が守ってきた「過去」と子が直面する「未来」のどちらを優先するかという、家族にとって難しい選択を強いています。それでも対話を重ねる以外に、有効な解決策はないのです。