(※写真はイメージです/PIXTA)
倉庫の作業員と、深夜のイラストレーター
高校卒業後、ユウスケさんは大学進学を諦め、地元の物流会社に就職しました。朝から晩まで倉庫で荷物を運び、フォークリフトを操作する日々。派手さはありませんが、その堅実な収入が、母との生活を安定させました。
転機が訪れたのは、就職して数年が経ったころです。過労がたたったのか、母が脳梗塞で倒れました。一命はとりとめたものの、以前のように働くことはできません。ユウスケさんは、母を支えるため、そして自分自身の精神のバランスを保つために、再び「絵」を描きはじめました。今度はキャンバスではなく、安物のタブレット端末で。
「現実が辛いときこそ、綺麗なものを描きたかったんです」SNSに投稿したイラストは徐々に評判を呼び、やがてWeb広告の仕事が舞い込むようになりました。倉庫作業員としての安定した給与と、イラストレーターとしての副収入。そしてなにより、職場で出会った妻の存在が、ユウスケさんの人生を再構築していきました。
あるとき、警察から連絡が入りました。蒸発していた父が、遠く離れた地方のアパートで孤独死していたという知らせでした。部屋にあったのは消費者金融のカードと、山のような督促状だけ。ユウスケさんは弁護士に相談し、相続放棄の手続きを行いました。これにより、父との関係は法的に、完全に終わりを告げました。
「あの窓からの景色」をもう一度
現在、44歳になったユウスケさんは、中古ながらもバリアフリーのリフォームを施したマンションを購入し、共働きの妻と母と3人で暮らしています。現在の月収は31万円。イラストでの収入は月によりまちまちです。
先日の母の誕生日。ユウスケさんは一枚の絵をプレゼントしました。それは、世田谷の家のリビングから見えた、庭の風景画でした。
「あの家にあった絵画はすべて差し押さえられたけど、絵を描く楽しさまでは持っていかれなかった」
母は、泣いていました。そこには、借金の恐怖も、父への恨みもありません。ただ、家族が幸せだった記憶だけが、鮮やかに切り取られていました。
「父が遺した借金は相続放棄で消えました。でも、父のおかげで養われた絵を描くことの楽しさだけは、僕の資産として残った。皮肉ですけど、これが僕の生きる武器になっています」
受け継いだものと、断ち切ったもの
ユウスケさんが負の連鎖を断ち切り、人生を再建した理由は、親が遺したものをすべて受け入れるのではなく、選別したことではないでしょうか。
まず、彼は法的な制度を正しく使いました。家族が多額の借金を残した場合、情に流されて返済義務を背負い込み、共倒れするケースは少なくありません。しかし、ユウスケさんは相続放棄の手続きをとることで、父の借金と自分の家計を法的に切り離しました。
一方で、彼は父のすべてを否定したわけではありません。幼少期に父から与えられた「芸術への感性」は肯定しました。借金は相続放棄すれば消えますが、身についた色彩感覚や教養は消えません。彼はそれを会社員としての仕事と組み合わせ、イラストレーターという独自の武器に昇華させました。
没落の程度に多寡はありますが、人生におけるステータスがダウンしたとき、多くの人が苦しむのは、「昔の生活水準に戻りたい」という執着です。これを「サンクコストへの未練」と呼びます。父は「社長に戻ること」に固執し、現実を受け入れられずに破滅しました。しかし、ユウスケさんは世田谷の生活を取り戻すことは目指しませんでした。代わりに目指したのは、身の丈に合ったサイズで、新しい幸せを積み上げること。
かつての父のような派手さはありませんが、現在のユウスケさんの暮らしは外部環境に左右されない、自立した幸福の形です。失ったものを嘆くのではなく、手元にあるものだけでどう幸せを組み立てるか。その視点の転換こそが、本当の意味での再建といえるでしょう。