一人の若く有能な労働者がメンタルヘルスの不調で現場を去ることは、単なる個人の悲劇に留まらず、教育現場における「人的資本の重大な損失」を意味します。特に、人手不足が深刻化し、肉体的にも精神的にもハードな教師の離職は、労働生産性の低下だけでなく、将来を担う世代への教育サービスの質の低下という多大な社会的損失を招きます。いま、現場で何が起きているのか。本記事では、精神科医・広岡清伸氏の著書『ごめんなさい、もうこれ以上頑張れません 生きづらい社会で傷ついた人が、再び「自分」を取り戻すまで 』(アスコム)より一部を抜粋・再編集し、25歳の若き教師が直面したパニック症の闘病記から、キャリアを守るための必須スキルについて考えます。
「赤ペンで丸をつける手が震えました」テストの採点・行事企画・保護者対応、真面目過ぎた25歳中学校教師。毎日職員室に最後まで残っていたが…バス通勤中に救急搬送、学校に行けなくなった日 (※画像はイメージです/PIXTA)

鳴り止まない「心と体の誤警報」

その発作から1週間後、水野さんは職場に戻りました。最初のうちは、少し息苦しさを感じることがあっても、深呼吸をしてやり過ごせていたそうです。

 

3日後、バスに乗ろうとした朝、胸の奥にわずかな違和感を覚えました。心臓が跳ねたと思った瞬間、体が固まり、息を吸うことが怖くなったといいます。結局、その日は途中でバスを降り、そのまま学校を休むことにしました。

 

その日を境に、通勤のたびに発作への不安がよみがえります。「またあの感じが来るのではないか」と思うだけで、手足が冷たくなっていく。教室では表情を崩さずに生徒の前に立ちながらも、頭の片隅では「もし授業中に倒れたらどうしよう」という考えが離れなくなったそうです。

 

次第に、放課後の打ち合わせや会議に出るのも難しくなりました。「他の先生方に対して申し訳ない」と思いましたが、自分ではどうすることもできません。多くの先生や保護者が集まる職員室に長くいられない。ざわめきや電話の音が続くと、心臓の鼓動が大きく、速くなるからです。

 

水野:子どもたちの前では、できるだけ笑顔を保とうとしていました。それが教師の務めだと思ったんです。けど、子どもたちのノートに赤ペンで丸をつける手が震えることがあって。自分では大丈夫、まだいけると思っていたんですが、ある朝、バスに乗ろうとした瞬間、呼吸が浅くなり、足が動かなくなりました。ああ、なんでわたしは……。そう思うと……涙が出て、苦しくて、しゃがみ込むしかなくて……。

 

その日から、水野さんは学校に行けなくなりました。学校には「体調不良」のまま休職願を出して、次第に外へ出る機会そのものが減っていったそうです。水野さんに起きた「多くの先生や保護者が集まる職員室に長くいられない」状態もパニック発作から生まれたものです。

 

日々の不安や気疲れは、心の中に“積み木”のように少しずつ積み上がっていきます。不安の積み木が高くなると、些細なきっかけでも一気に不安があふれ出し、体の反応が過剰に立ち上がってしまうことがあります。やがて、人が多い場所や逃げ場の少ない空間、電車やバス、エレベーター、会計待ちのレジ、イベントの人混み、自宅で一人になる時間などを避けるようになり、生活の範囲が目に見えて狭くなっていきます。これを「広場恐怖」といい、発作そのもの以上に人を苦しめます。

 

パニック発作から始まって、予期不安や広場恐怖を経て、普通の生活ができなくなる状態を「パニック症(旧称:パニック障害)」といいます。一度、強烈な発作を経験すると、その記憶は心と脳の両方に深く刻まれます。「もう二度とあんな思いはしたくない」という感覚は、本来とても自然な自己防衛の働きです。

 

けれど、その思いが強くなりすぎると、脳の中に「似た状況に近づいたらすぐに警報を鳴らせ」という無意識の反射ルートができてしまいます。わたしは、実際には命の危険がないのに、この警報が勝手に鳴ってしまうことを「誤警報」や「誤作動」と呼んでいます。

 

広岡:まず、最初に大事なことを3つお伝えします。1つは、水野さんに起きた発作で命を落とすことは絶対にありません。もう1つは立っていられないほどの発作でも、必ず短い時間でおさまります。そして最後に正しい治療を行えば、必ず良くなります。

 

うつむきがちだった水野さんが顔を上げて、初めてわたしの目を見ました。

 

水野:本当に良くなるんですか?

 

広岡:ええ、治ります。わたしは何人もの方が回復していく姿を見てきましたから。