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「すべては息子のために」……往復3時間の通勤を18年続けた父親の自負
「まさか、息子が一人暮らしをしたいと言い出すなんて、思ってもみませんでした」
都内の企業に勤務する田中健一さん(52歳・仮名)。月収は55万円、賞与を含めた年収は900万円前後という、世間一般から見れば順風満帆なベテラン会社員です。田中さんが千葉県内の郊外に注文住宅を購入したのは、今から18年前。長男の翔太さん(仮名)が生まれたばかりのころでした。
「当時は、子どもに土に触れて育ってほしかったんです。都心のマンションで育てるより、少し遠くても庭があって、近くに大きな公園がある環境のほうがいい。妻とも話し合って、環境を最優先にしました」
その代償ともいえるのが、片道1時間半、往復で3時間という通勤時間です。始発に近い電車に乗り、吊り革に掴まりながらスマートフォンでメールをチェックするか、あるいは立ったまま仮眠を取る毎日。残業をして帰宅すれば、家に着くのは深夜0時を回ることも珍しくありません。
「しんどくないと言えば嘘になります。でも、週末に庭で遊ぶ息子の姿を見れば、自分の苦労なんて大したことないと思えました。住宅ローンも教育費も、自分がこの通勤に耐えれば守れるものだと、ある種の誇りすら感じていたのです」
そんな田中さんの生活に、大きな転機が訪れます。高校3年生になった翔太さんの大学進学です。翔太さんは都内の私立大学を志望しており、順調にいけば春から大学生。田中さんは、息子も自分と同じように、この家から大学へ通うものだと考えていました。
「志望校までは、家からドア・ツー・ドアで約2時間。合格したらの話ではありますが、当然、家から通学するものだと思い込んでいました。それ以外の選択肢なんて、頭によぎったことさえなかったんです」
しかし、進路相談の席で翔太さんが口にしたのは、田中さんの予想を覆す提案でした。「大学の近くで、ひとり暮らしをさせてほしい」という申し入れです。
田中さんは思わず、「なんでだ、家から通えるだろう?」と諭しました。しかし、その言葉に対する翔太さんの返答に、ぐうの音も出なかったといいます。
「お父さんを見てると、本当に辛そうなんだよ。毎日疲れ果てて、帰ってきても寝るだけ。休日は死んだように眠っている。往復3時間も移動に使うくらいなら、その時間を勉強ややりたいことに使いたいんだ」
息子の大学進学を、すべて“自宅通学”を前提に考えていた田中さん。それからの一家は大慌てだったといいます。
「それまでは学費と通学費くらいしか見積もっていませんでしたが、東京に部屋を借りるとなると、どれくらいかかるか想像もつきません。『生活費は自分で働いて何とかしなさい』とも突き放せませんし、受験前に『ひとり暮らしは許さん!』なんて言えるわけもなくて……。もっと都心近くに家を買っておけばよかったと、初めて後悔しました」