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「働かなくても生きていける父」をみて育った息子
Kさんが会社を売却し、仕事を卒業したとき、ひとり息子のUさんは7歳。小学校に入ったころから、父親は毎日家にいる人になっていました。朝になっても母親のように出勤する様子はなく、学校から帰ると必ず父親が出迎えていました。土日は一日中家にいて、リビングでソファに腰かけ、スマートフォンやノートパソコンでなにかを眺めているだけ。Uさんがゲームをねだれば、父Kさんはなんでも買い与えてくれたようです。「パパは無職だけどお金持ち」「平日も家で遊んでくれるパパ」子供時代のUさんの父親像はそのようなものでした。
一方で母親は仕事で常に家にいない状態。仕事のある日は朝から不機嫌で、子供に関心がないかのようにバタバタと出勤していた記憶があります。夜に帰ってくると疲れ果てていて、すぐに寝てしまい、学校での出来事を話すタイミングはほとんどありませんでした。さらに機嫌が悪い日は、Uさんがなにかをねだると、「私は働いているからそんなに多くのことをいわれてもできないの!」と怒鳴ることも。
「そんなにイライラするなら仕事なんかしなきゃいいじゃないか。仕事ってなにかの罰ゲームなのかな。大人になっても働きたくないな……」Uさんはそんな思いを積み重ねて育ったのです。父親のように働かずに生きていこう、そう強く思うようになりました。
しかし、その父親Kさんもまた、若いころはメンタルを壊すまで働いたのですが、息子のUさんにはそれがみえていません。みえたところで、やはり「労働=罰ゲーム」という感覚を強めるだけでしょう。
労働を「つらいもの」としか語れなかった氷河期世代の親
Kさんも妻も、1971年生まれ。就職氷河期と呼ばれた世代です。大学を卒業したとき、2人とも就職活動に全敗しました。Kさんはコンビニエンスストアで働くフリーターに、妻は中堅ゼネコンのパート事務員になるのがやっとでした。
不遇の時代を過ごしてKさんは起業し、妻は銀行に中途採用されたのです。2人に共通するのは「仕事とはつらいもの、我慢すること」という感覚を体験として持っていることです。むしろ、辛くなければ仕事ではないとまで感じているのかもしれません。
バブル崩壊後の長期不況、リストラ、サービス残業、メンタル不調……現代の50代がずっと抱えてきた本音は、「会社なんて行きたくない」「仕事なんてやめられるならやめたい」だったと思います。そうした言葉を聞きながら育てば、「労働はできるだけ避けるべきもの」と考えても無理はありません。
「勉強して、いい大学に入って、少しでも大きな会社に入りなさい」
50代の親が子供にいいがちな、こうしたアドバイスも、裏を返せば「労働はつらいから、なるべくマシな環境を確保しろ」というメッセージです。結果として、子供たちは労働を「つらいこと」としてしか認識できず、「そこからどう逃げるか」「いかに早く卒業するか」ばかりを考えるようになったのかもしれません。
息子Uさんもまた、労働の意味や価値を深く理解できないまま育ってしまいました。労働から得られるものを「お金」としか理解できず、仕事の過程で得られる経験や技能、社会への貢献、達成感といった価値観を「やりがい搾取」などと歪んだ捉え方をするように。自分はお金だけが欲しいのに、会社がそれ以外の価値観を押し付けてくると感じてしまえば、労働はお金と引き換えにした自己犠牲でしかないと考えて当然でしょう。しかし、労働への行き過ぎた損得勘定は、あまりにも貧しく未熟な感性かもしれません。