ここ数年、FIRE(経済的自立・早期リタイア)という言葉が広がり、SNSでは「いかに早く会社を辞めるか」「いくら貯めれば働かずに済むか」といった資産形成の話題で盛り上がっています。現代の労働環境に疲れた人々にとって、それが新たな希望の光であることは間違いないでしょう。しかし、FIREが必ずしも幸福な家庭を約束するわけではありません。むしろ、有り余る富と時間が、次世代の労働観を歪めてしまうこともあるようです。本記事では、Kさんの事例とともに、FIREの思わぬ落とし穴について長岡FP事務所代表の長岡理知氏が解説します。※個人の特定を防ぐため、事例は一部脚色しています。
「平日も家で遊んでくれる父親に育てられました」…留学費用6,000万円も水の泡。資産18億円で20年前にFIREした父が育て上げた、一生働く気のない“自称・投資家”27歳無職の息子 (※画像はイメージです/PIXTA)

「自称・無職」で投資家の54歳父と、「自称・投資家」で無職の27歳息子

<事例>

父Kさん 54歳 投資家(自称・無職)

資産18億円、年収3,000万円

 

息子Uさん 27歳 無職(自称・投資家)

 

父Kさんは、25歳でITベンチャーを起業し、35歳で売却。その売却益を運用し、現在は株式・不動産・投資信託など計18億円の資産を保有しています。

 

資産は株式を中心に、現物不動産、投資信託、生命保険などに分散され、いわば「お金がお金を生む状態」です。FIRE理論で知られる「4%ルール」に当てはめれば、年間7,000万円前後を取り崩しても理論上は破綻しない水準ですが、Kさんはそのうち3,000万円程度しか生活費に使わず、残りは再投資しています。表面的には「労働しない」生活でありながら、資産は少しずつ増え続けているというわけです。

 

朝は5時に起床し、メガバンクで働く妻のために朝食と弁当を作ります。6時半に高級SUVに乗り込んで妻を駅まで送ると、そのまま近所のジムに。9時に帰ってきたら朝食をとり、コーヒーを飲みながら経済ニュースと株価をチェック。自分のブログやSNSに投稿をしていると昼になります。午後に用事がない日は必ず読書を1時間してから気が向けば再びジムに。夕食の支度をして妻を駅へ迎えにいき、夜は妻と団らんしながらお酒を飲んだりテレビをみたり。

 

Kさんの手帳には「会議」や「納期」の用事はなく、一日の予定は一つあるかどうか。金銭的に大きな余裕がありますが、別に買いたいものもなく、行きたいところもありません。あらゆる欲がもうないので、年収500万円程度でも十分ではないかと思っています。

 

一生お金には困らないだろうし、妻の仕事が激務で大変なのをみて「もう退職したらいいのに」ということもしばしば。しかし、妻は収入が目的で働いているのではないといいます。「その気持ちもわかるよ」とKさんはいい、妻が定年退職するまで見守ろうと思っています。

 

Kさんのいまのこの生活は、若いころの過酷な労働の上に成り立っています。会社経営者として資金繰りに追われ、ハードクレームに右往左往し、睡眠時間は1日4時間あればいいほう。社員が帰ったあとにひとりでコードを書き、執務室の床で寝袋を敷いて寝たことも数えきれません。当時、会社の中は食べ物と汗の臭いが漂い、ベンチャー企業とはいえキラキラした雰囲気はゼロ。むさ苦しい男の世界でした。

 

過労で倒れ、救急車で運ばれた経験も一度あります。信頼していた社員に数千万円を横領されたことも。大金をつぎ込んだプロジェクトに大失敗したこともあります。家庭生活も犠牲にしていて、息子の幼稚園の行事も行かなかったばかりか、6歳くらいまでの成長の記憶がほとんどありません。ランドセルをいつどうやって買ったのかさえ覚えていないのです。

 

10年間、あらゆるものを犠牲にして仕事に注ぎ込んだ結果、手にしたのが18億円の資産と、労働からの卒業でした。そして大きく傷ついてしまった精神状態。仕事を辞めたとき、数年間メンタルクリニックに通い、夜中に大声を出して飛び起きるなどPTSDのような状態に苦しみました。