(※写真はイメージです/PIXTA)
「いい娘」を演じ続けてきた限界…深夜の徘徊でプツンと切れた“何か”
「母の寝顔を見ながら、もし明日、このまま目が覚めなかったら……自分はどれだけホッとするだろうか。そう考えてしまったとき、自分はなんて親不孝で冷酷な人間なんだろうと震え涙が止まりませんでした」
都内の実家で母親と暮らすパート勤務の田中洋子さん(54歳・仮名)。父を7年前に亡くし、現在は82歳になる母(要介護3)の在宅介護を1人で担っています。
洋子さんは大学卒業後、中堅企業に勤務していましたが、40代後半で母の認知症が進行したことを機に退職。現在は時間の融通がきく近所のスーパーでパートをしながら、生計を立てています。しかし、その生活は経済的にも精神的にも限界を迎えていました。
「父が残してくれた預貯金は、家のリフォームや母の医療費、そして私の生活費の補填でみるみる減っていきました。私のパート収入は月12万円ほどですが、母の年金と合わせても毎月10万円近い赤字が出ている月もあります」
ショートステイや訪問介護サービスを利用すれば、当然費用がかさみます。「節約しなければ」とサービス利用を控えれば、その負担はすべて洋子さんの身体に跳ね返ってきます。
ある深夜のことでした。ふと物音で目を覚ますと、母が玄関で靴を履こうとしていました。「どこ行くの?」と声をかけると、母は虚ろな目で「家に帰る」と繰り返すばかり。
「ここは家でしょ! いい加減にしてよ!」
深夜の静寂に、自分の怒鳴り声が響き渡りました。驚いて縮こまる母を見て、激しい自己嫌悪に襲われたといいます。
「以前は『私が最後まで面倒を見る』と意気込んでいました。でも、自分の老後資金も貯められず、キャリアも失い、社会から取り残されていく焦りだけが募ります。母がいる限り、私は私の人生を生きられない……そんな恐ろしい考えが、最近は頭から離れないのです」
友人がSNSに投稿する旅行や食事の写真を見るのが辛くなり、アプリごと削除しました。「介護が終わる日」=「母の死」を待ち望んでいる自分に気づくたび、洋子さんは心をすり減らしています。