昨今のアウトドアブームを受け、自分だけの山を持ちたいと考える人が増えています。しかし土地代の安さだけで安易に手を出すのは危険かもしれません。今回は、購入直前で断念した男性の事例をみていきます。
よし、山を買おう!定年直前にアウトドアに目覚めた「退職金2,200万円」60歳夫、「150万円なんて安いな」と意気揚々も、土壇場で断念したワケ (※写真はイメージです/PIXTA)

「150万円で自分だけの王国!」舞い上がった夫の誤算

「もう少しで定年だ。これからは好きなことをして生きたい」。そう宣言していた夫が、まさか本気で「山」を買おうとするなんて、思ってもみませんでした。

 

都内の中堅メーカーに勤めてきた佐藤隆さん(60歳・仮名)は、真面目一筋のサラリーマン人生を送ってきました。定年を迎え、手にした退職金は約2,200万円。住宅ローンも完済し、老後資金としてはまずまずの金額といえます。

 

そんな隆さんの様子が変わったのは、定年の半年ほど前からでした。妻の洋子さん(58歳・仮名)は、当時の夫の様子をこう振り返ります。

 

「急にYouTubeでキャンプの動画ばかり見るようになったんです。最初は『焚き火がしたい』なんて言って、庭で小さくバーベキューをする程度だったんですけど、だんだん道具が増えていって。玄関が段ボールだらけになりました」

 

ここまでは、よくある定年後の趣味の話です。しかし、隆さんの熱は冷めるどころか、エスカレートしていきました。有名芸能人が山を購入し、自分だけのキャンプ場を作る動画に感化されてしまったのです。

 

「ある日、興奮気味にパソコンの画面を見せてきたんです。『おい洋子、これを見ろ。150万円だぞ。車より安いじゃないか』って。見ると、関東近郊の山林が売りに出されていました」

 

隆さんの言い分はこうです。「退職金もあるし、150万円くらいなら痛くも痒くもない。ここに小屋を建てて、週末は俺の城にするんだ」

 

洋子さんは「維持費がかかるんじゃないの?」「猪とか熊とか、出たらどうするの?」と現実的な質問を投げかけましたが、隆さんは聞く耳を持ちません。「固定資産税なんて、山林なら数千円程度だそうだ。維持費なんてかからないよ」と、すっかり購入する気満々になっていました。

 

「もう、男のロマンだか何だか知りませんが、目がキラキラしていて。私が反対しても内緒で買いそうだったので、とりあえず現地を見て、不動産屋の話を一緒に聞くことにしたんです」

 

週末、二人は車を走らせて現地へ向かいました。そこは、確かに静かで自然豊かな場所でしたが、道は舗装されておらず、車を停める場所すらありません。現地で待っていた不動産会社の担当者は、意外にも購入のリスクを淡々と話し始めました。それが、隆さんの「夢」を打ち砕くことになります。

 

「夫は『ここにログハウスを建てたい』と息巻いていたんですが、担当の方は冷静でした。『建てるのは可能ですが、電気も水道も通っていませんよ』って。電気を引くだけで結構なお金がかかるし、井戸を掘るにも水が出るかわからないこと、そして何より、トイレの処理問題……。夫の顔色が少し変わりました」

 

さらに決定打となったのが「管理責任」の話でした。

 

「『ただ木が生えているだけに見えますが、もしこの山の木が倒れて、下の県道を通る車や人に当たったら、すべて所有者である佐藤さんの責任になります』と言われたんです。定期的に業者を入れて間伐や枝打ちをしなければならず、その費用は年間数十万円になることもあると。150万円で買っても、毎年お金が出ていくんです」

 

「150万円なんて安い」と豪語していた隆さんですが、その後に続く膨大な「見えないコスト」と「法的責任」の重さに、言葉を失ってしまいました。

 

「帰りの車内、夫はずっと無言でした。結局、『やっぱり、たまにキャンプ場に行くくらいがちょうどいいな』なんて、自分に言い聞かせるように呟いて。購入は白紙になりました」

 

洋子さんは、安堵の表情でそう語りました。