多くの人が直面する「親の最期」。家族ごとに美談では語られないストーリーがあります。今回はある母子のケースをみていきます。
「…もう、自由なんだ」年金月15万円・82歳母を看取った54歳娘。涙よりも先に溢れた「不謹慎な言葉」の真意 (※写真はイメージです/PIXTA)

壮絶な親の介護のなかで、母との会話を避けるようになった

都内の私立大学で事務職員として働く、佐藤美智子さん(54歳・仮名)は、半年前まで実家で母・佐藤知子さん(享年82・仮名)と二人暮らしをしていました。

 

77歳で脳梗塞を発症した母は要介護3。右半身の不随により、排泄や入浴には介助が必要でしたが、意識ははっきりとしていました。

 

「基本的には穏やかな母でした。でも、私が体を拭いたり着替えさせたりしている最中、ふとした瞬間に母がポツリと、『あんたも運が悪いわね、こんな親を持って』と自嘲気味に言うんです。あるいは、私が少し疲れた顔を見せると、『そんなに嫌なら、もう放っておいてよ』と。

 

謝ってほしいわけではありませんでしたが、そう言われるたびに、それまでの介助が無意味に思え、母との会話を避けるようになりました。母自身の惨めさからくる言葉だと分かっていても、私の精神的な余裕は失われていきました」

 

知子さんの年金月15万円はほぼ介護サービスに消え、美智子さんは自分の将来のための貯金を切り崩して生活を支えていました。施設への入所を考えたこともありましたが、母が寂しそうに遠くを見つめる姿を見ると、どうしても強行できませんでした。

 

「夜中に母の体位変換をするために起き、仕事へ行き、帰宅してまた介助。そんな毎日が5年続いたころ、私は母と目が合うのが怖くなっていました。母を愛しているからこそ、母を疎ましく思ってしまう自分を許せなかった。家の中には、常に言葉にできない重苦しい空気が停滞していました」

 

そして半年前、母は誤嚥性肺炎をきっかけに静かに息を引き取りました。医師が臨終を告げた瞬間、美智子さんの胸に去来したのは、嗚咽ではなく、驚くほど冷静で、高ぶっていた感情が収まっていく感覚だったといいます。

 

「母の死に顔を見たとき、最初に思ったのは『あぁ、もうお互いに傷つかなくていいんだ』という安堵でした。明日からは、あの重苦しい沈黙も、母の自嘲に心を痛めることもない。『…もう自由なんだ』思わず呟いてしまった。涙は出ず、力も入らず。今まで味わったことのない気持ちでいっぱいになりました」