(※画像はイメージです/PIXTA)
孤独の苦しみを知った理由
ある日、Aさんに異変が起きました。
5月の雨の日、激しい動悸とめまいに襲われ、道端で倒れたのです。たまたま通りかかった人に助けられ救急搬送されました。診断は「心不全」。幸い、大事には至りませんでしたが、強いストレスが影響しているかもしれないとのこと。
問題は入院直後から起きました。入院保証人になってくれる人が誰もいないのです。友人も恋人も両親も断捨離してしまい、本当に誰もいません。困った挙句、保証金を預けることで解決できました。しかし緊急連絡先を登録しなければならず、やむを得ず書いたのは母親の名前。
さらなる問題が。退院するときに着る私服がないことに気づきました。緊急搬送されたときの服は破けてしまっていたらしく捨ててしまったようです。自宅から服を持ってきてくれる人が、やはり誰もいません。退院後、戻った自宅には、当然ながら冷蔵庫もなく食品の備蓄もなく電子レンジもありませんでした。近所のスーパーに毎日歩いていくほかないものの、心臓に病気を抱えている身で無理は禁物です。
SNSで名前検索し、みつけた以前の恋人にDMを送り、買い物を頼めないかと事情を説明して依頼してみましたが……半日後に返ってきた答えは「無理です」の一言だけ。すでに誰かと結婚したようでした。
頼れる人もいない孤独感が心身に重くのしかかります。彼は初めて自分がミニマリストなどではなく、単なる「孤独」で「孤立」している人なのだと痛感しました。こんなに孤独で、もしFIREが実現したら、どうなるのだろう……。そんなことまで考えるように。
「50歳で仕事をやめ、悠々自適なんていっても、結局は孤独なんだよな。小金持ちの無職で病気持ち、身寄りのないおっさんじゃないか……」
父親が亡くなっていたことを知る
そんな療養中にさらに悲しい出来事が。実家の母親から手紙が届きました。戸籍を辿ってAさんの居所を突き止めたようです。母親の名前をみて、胃が縮む思いをしましたが、手紙には父親が亡くなっていたことが書かれてありました。もう2ヵ月前のようです。
「あなたは私に会いたくないのかもしれませんが、相続分割の話し合いで来月中に一度実家にいらしてください」そう書いていました。
かなり迷いましたが、Aさんは帰省を決心しました。18歳以来、16年ぶりの帰省です。新幹線に乗って名古屋駅で降り、岐阜駅に向かう電車の中でまた激しいめまいが。このストレスは心臓に悪いとわかっていましたが、なんとか実家にたどり着きます。
久しぶりの母親はすっかり老け込んでいました。ぽっちゃりしていた体型は面影もなく、小さく痩せたおばあちゃんの姿です。仕事も定年退職したようで、話し方も柔和に。すっかり老人になったんだなと少し寂しくなりました。