親の介護は、ある日突然、避けられない現実として子ども世代の前に立ちはだかります。生活や仕事のリズムが一変し、想像以上の精神的・経済的な負担がのしかかることも少なくありません。兄弟姉妹との温度差や、周囲の理解の乏しさも、当事者を追い詰める要因となります。支える人の「当たり前の暮らし」をいかに守れるか――そこに介護の本質的な課題が隠されているのです。
なんで私だけこんな目に…〈年金月7万円〉要介護の母を引き取った〈月収40万円〉42歳の長女。ついにブチ切れた「母のひと言」 (※写真はイメージです/PIXTA)

母の介護負担がすべて長女にのしかかる

「なんで、私だけがこんな思いをしなくてもいけないのでしょうか……」

 

都内で食品メーカーで働く田中美里さん(42歳・仮名)。月収40万円ほどのひとり暮らし。都心の賃貸マンションで、悠々自適な生活を送っていました。しかし、その生活は一本の電話で終わりを告げます。故郷で一人暮らす母、芳子さん(75歳・仮名)が自宅で倒れたという知らせでした。

 

幸い命に別状はなかったものの、軽度の麻痺が残り、1人暮らしは難しいのではないかという医師の判断。美里さんは慌てて帰省し、母の今後について話し合いました。そこで初めて知ったのは、母の厳しい経済状況でした。

 

「父が亡くなってから、年金月7万円ほどでやりくりしていたそうです。貯金も医療費がかさみ、心許ない程度にしか残っていない……」

 

美里さんには弟もいますが、県外で家庭を築いており、「こっちは、ローンの返済や教育費で大変なんだ。でも姉ちゃんがいるから安心だな」と、最初から援助には消極的。他に頼れる親族もいない。選択肢は多くはありません。美里さんが仕事を辞めて故郷に帰る、母を東京に呼び寄せて同居する、実家を売却し、それを元手に施設に入居する――悩んだ末、美里さんはキャリアを捨てることはできず、母親を東京に呼び寄せることに。それまで住んでいたマンションから、郊外の広めのマンションに引っ越しをしました。

 

しかし、介護をしながら仕事を続ける現実は、想像を絶するものでした。平日の日中は訪問介護を利用していますが、それと前後して、母の着替えや食事の介助は美里さんがこなします。会社では残業ができないため、同僚に頭を下げて仕事を調整し、急いで帰宅。夕食の準備と後片付け、入浴の介助……。夜中に母がトイレに起きる物音で目を覚ますこともしばしばで、常に寝不足の状態です。

 

身体的な疲労以上に加えて、経済的な負担も。自身の給料から家賃、光熱費、食費、そして母の医療費や介護用品代を支払うと、給料の多くが消えていきました。「少しくらい援助してくれるのでは」という甘い期待をもちながら、介護の苦労を弟に話すと「姉ちゃんは結婚していないんだから、余裕だろ」と、まさかの返答。

 

「結婚しているのが、そんなに偉いんですか!」

 

憤りを感じているなか、さらに精神的に追い詰めたのが母の口癖でした。

 

「ごめんね、迷惑ばかりかけて……」

 

最初は娘を気遣う言葉だと受け止めていましたが、次第にその言葉が鬱陶しく感じるように。そして、介護疲れもあり、美里さんは仕事で大きなミスをしてしまい、上司から厳しい叱責を受けました。意気消沈して帰宅すると、食卓にはポツンと座る母の姿が。美里さんの顔を見るなり、芳子さんはいつものように言いました。

 

「ごめんね、何もできなくて……」

 

その瞬間、張り詰めていた糸が切れたそうです。

 

「もう謝らないで!  お母さんのせいじゃないから!」

 

声を荒らげたあと、涙が止まらなくなってしまったといいます。