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「親の老い」を直視できない世代
地方出身者が大学を卒業し、都会で就職すると、実家に帰って親の顔をみることは極端に少なくなります。メールやメッセージアプリを使える親であれば定期的に連絡を取ることもあるでしょう。しかし連絡手段が電話だけとなると、子供としては少し億劫で、「親とは数年会話していない」ということもめずらしくありません。
しかし40歳を過ぎたころから、数年ぶりに帰省するたび、親の老化を目の当たりにすることになります。白くなって薄くなる髪、掃除が行き届かない家、整理できていない冷蔵庫、開封されていない大量の手紙、読んだ形跡のないまま積みあがった新聞、なんの病気なのかわからないが飲んでいないであろう大量の薬、傷だらけの自動車……。
現役世代の多くは、祖父母のいない核家族で育っています。そのため家族の「老い」を目の当たりにした経験がありません。親の老いの姿をみるたびに死を連想してしまい辛い、と感じてしまう人もいます。それは大人として少々幼いのでは、と感じる部分もありますが、家族の老いを日々みつめた経験がないせいで、親の老いを直視できないのです。
親の「老い」に対して正しい距離感で向き合うことができず、歪んだ形で関与しようとする子供も多くいます。軽度認知障害と診断された親に対して激しく苛立つ息子、一人暮らしの母親が心配なあまり親の生活に過干渉する娘、老いを直視したくないがあまり電話も着信拒否し没交渉を決め込む息子、親の異常行動に狼狽する娘……。
そこには子供と親とのこれまでの関係性が透けてみえることもあります。子供世代が中年世代になるまで親のことをどう考えてきたのか、それが親の老いとの向き合い方に反映されてしまうのです。