(※写真はイメージです/PIXTA)
家族のATMと化した70歳の年金生活
2か月に一度の年金支給日は、鈴木正雄さん(70歳・仮名)にとって憂鬱が訪れる日でした。通帳に記帳された約30万円という数字を確認すると、その日の夕食には決まって、同居する息子の健一さん(45歳・仮名)と妻の美咲さん(43歳・仮名)が神妙な顔で正雄さんの前に座ります。
「お父さん、今月もお願いしますね」。妻の美咲さんが切り出し、健一さんが続けます。「悪いな親父。でも、翔太(10歳・仮名)の塾代も上がって、家計が本当に厳しくてさ」。正雄さんは黙って頷き、銀行の封筒から10万円を取り出し、健一さんに手渡します。これが鈴木家の「恒例行事」となってから、もう10年以上経ちます。月15万円の年金のうち、10万円は息子家族の生活費に消え、残りの5万円で生活する日々。孫の翔太くんも、お金をくれるのは祖父だと自覚し、「じいじ、新しいゲームが出たんだ、買って!」と無邪気にねだってきました。
家族の笑顔が見たい。その一心で、正雄さんは求められるままにお金を渡し続けてきました。しかし、ずいぶん前から自分は、この家族にとって「お金を出す存在」でしかないことはわかっていました。
この家の中にいても、自分の居場所はない――そんな孤独感に包まれていました。
そんな矢先のことでした。ある朝、正雄さんは胸の苦しさを覚えて倒れ、救急車で病院に搬送されました。診断は心労による不整脈。医師からは「少しゆっくり休む必要があります」と告げられ、1か月間の入院生活が始まりました。
意外にも、その入院生活は正雄さんにとって穏やかなものでした。
誰からも金の無心をされない日々。看護師は「鈴木さん、今日のお加減はいかがですか?」と名前を呼び、他愛もない世間話に付き合ってくれる。食事の時間になれば温かい食事が運ばれ、ただ自分の体のことだけを考えて過ごせる。
お金と切り離され、「鈴木正雄」という一人の人間として扱われる心地よさ。もう何十年も忘れていた感覚でした。「もう、あの家には帰りたくない」。その思いは、日に日に強くなっていきました。