長年連れ添った夫婦を待ち受ける、老後の年金生活。夫の年金に頼る暮らしのなか、ふとした一言が長年の信頼関係を揺るがすこともあり、妻に人生の大きな決断を迫ることがあります。それは決して特別な夫婦の話ではなく、働き方が多様化した現代において、誰にでも起こりうることかもしれません。
俺の年金23万円があるだろ!68歳夫の怒号に、〈年金月9万円〉66歳妻が静かに置いた「離婚届」 (※写真はイメージです/PIXTA)

俺の年金があるだろ…夫の言葉が終わりを告げた

健一さんは68歳で完全リタイア。本格的な年金生活が始まりました。そんなある日、今後の生活について話をしているときのこと。昨今、世間を賑わす物価高について、良子さんが漠然とした不安を吐露しました。すると健一さん、テレビを観ながら、少々あざ笑うように言ったのです。

 

「お前は何もしてこなかったから、年金も月9万円しかないからな。俺はしっかり働いてきたから、年金が月23万円もある。多少、物価が高くなったところで大丈夫だ」

 

その瞬間、良子さんのなかで何かがプツリと切れました。

 

「お前は何もしてこなかった」
「俺はしっかり働いてきた」

 

何をいうのか。今、月23万円の年金を受け取れているのは、家庭を顧みず、仕事に没頭できたからではないか。それを可能にしたのは、私(良子さん)がしっかりと家を守ってきたからではないか。そうでありながら、夫は妻を「お前は何もしてこなかった」と蔑んでいる――。

 

その言葉は、良子さんの人生が、夫という存在に完全に依存して成り立っているという現実を、冷徹に突きつけてきました。夫の庇護のもとで生きるのではなく、自分の足で立ち、自分の人生を生きたい。その思いが、まるで堰を切ったように溢れ出してきたのです。

 

「私の人生って何だったんだろうと思って……新しい人生を始めたいと思ったんです」

 

この想いを後押ししてくれたのが「年金分割」でした。良子さんのように、婚姻期間中に専業主婦(第3号被保険者)であった期間がある場合、離婚時に相手の厚生年金記録を分割してもらうことができます。これは、婚姻期間中の厚生年金保険料は、夫婦が共同で納めたものと見なすという考え方に基づいています。

 

年金分割には、夫婦の合意によって按分割合を決める「合意分割」と、平成20年4月1日以降の第3号被保険者期間について、相手の厚生年金記録の2分の1を自動的に受け取れる「3号分割」の2種類があります。

 

分割の対象となるのは、あくまで婚姻期間中の厚生年金部分(基礎年金は対象外)ですが、良子さんのケースでは、この制度を利用することで、自身の年金額を大きく増やせる可能性がありました。

 

そしてある夜、良子さんは静かに「別れたい」と切り出します。

 

「俺が何かしたか? 何不自由させたことはないはずだ。今だって俺の年金23万円があるだろ! これで十分暮らしていけるはずだ」と狼狽する健一さんに、「何もしてこなかったと言われるような人生、終わらせたいんです」と良子。あとは健一さんが署名して捺印すれば提出できる離婚届を、静かにダイニングテーブルに置きました。

 

現在、長女宅に身を寄せ、離婚話を進めているという良子さん。子どもたちは良子さんを加勢。健一さんは何とか離婚を食い止めようとしていますが、かなり劣勢に立たされているといいます。

[参考資料]
厚生労働省『令和5年度 厚生年金保険・国民年金事業の概況』
日本年金機構『離婚時の年金分割』