長年、馬車馬のように働き続けてきた会社員が、ふと我に返る瞬間があります。「自分は一体、何のために働き、何を犠牲にしてきたのか」と。それは、多くの人が50代で直面する「中年の危機」の始まりかもしれません。54歳のときに勤続29年の会社で降格処分となり、55歳で無職となった竹本和広氏も、かつて同じ悩みを抱えていました。現在はミドルシニアのキャリア支援に従事する同氏の著書『自分らしく生きる定年後の仕事 50代の働き方は「複業」で変わる!』(ごきげんビジネス出版)より、実体験から、人生の後半戦を本当に意味あるものにする方法を探ります。
毎日会食、週末は接待ゴルフ、馬車馬のように働き、通信会社の執行役員まで登りつめた50代父…「長男の結婚披露宴」で後悔した理由 (※写真はイメージです/PIXTA)

多忙ではあるが、目的を伴っていない…現代人が陥りがちな「アクティブ・ノンアクション」

「アクティブ・ノンアクション」という言葉を聞いたことがありますか? 私は5年前に初めて知りました。「行動的な不行動、不毛な忙しさ、多忙ではあるが、目的を伴う意識的行動を取っていない」という意味です。哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカが言及した「busyidleness(怠惰な多忙)」を起点にしているそうです。

 

この言葉を知ったとき、ドキッ!としました。転機前の私は、1日に何百ものメールを処理し、東京から大阪を多いときは月に8往復、毎日のように飲み会や会食、週末は年40回近く接待ゴルフ、といった生活を送っていたからです。

 

毎日の予定をこなすのにとにかく必死で、まさに「多忙ではあるが、目的を伴う意識的行動を取っていない」状態でした。40代後半以降、直属の上司から「馬車馬のように働け!」という言葉を鵜呑みにし、自分のことや家族のことも、まったく顧みない会社員生活を送っていました。

 

そのような私が退職した無職の年に長男が結婚します。翌年に長男と4歳下の長女まで結婚しました。

 

結婚披露宴のときです。子どもたちの友人がスピーチしてくれました。そのスピーチを聞きながら、子どものことを何も知らない自分に気がつきました。子どもが〇年〇組だったか知らない……。子どもの友だちを知らない……。友人が話すエピソードを何ひとつ知りませんでした。親族席に座りながら心のなかで自己対話しました。

 

「俺は、こんなことでいいのか……」

 

自宅のベランダから子どもたちが通った中学校の校庭が見えます。行われている運動会を見ながら、「俺、子どもの運動会に行ったことあったかな?」と思い出せない自分がいました。そして2022年に孫が産まれ、完全に自覚しました。アクティブ・ノンアクションにハマっていたことを。孫ができると地球の未来を考えるようになりました。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、いかに自分のことばかり考えて生きてきたのだと思います。

 

自分に何ができるのか? 自分にとって本当に大切なものは何か? 誰のために役に立ちたいか? 考える機会をもらった気がします。

 

この経験をもとに、これからは身近にいる人たちのために役立つことをしよう、と思うようになりました。この経験を経て、ありたい姿(大目的)が定まりました。

 

あなたにも、大切な人にしてあげられなかったことや、後悔していることがありませんか? 大切な人のために役に立ちたい、チカラになりたいと思うことはないでしょうか? そのようなことを考えると、きっと言語化のヒントになると思います。

 

あなたのなかに埋もれている経験したことを振り返り、書き出してみてください。