「お前が盗んだんだろう!」信頼していた母からの言葉に、頭が真っ白
「あの日の母の顔と、『泥棒』という言葉が、今でも頭から離れないのです」
都内近郊にお住まいの田中良子さん(58歳・仮名)は、そう語り、遠い目をしました。その言葉の重みは、彼女の心の奥深くに、癒えることのない傷として深く刻み込まれていたのです。
それは、2ヵ月に一度の年金振込日に、千葉県で一人暮らしをする母・鈴木聡子さん(84歳・仮名)のもとを訪れた、いつもの穏やかな日になるはずでした。しかし、良子さんの身に降りかかったのは、想像を絶する言葉の暴力でした。
ことの発端は、1冊の預金通帳です。聡子さんに頼まれ、入金された年金を記帳しにいった良子さんは、何も疑うことなく戻ってきました。いつものように「ありがとう」と受け取った母の表情は、一瞬にして凍りつきました。通帳を食い入るように見つめる聡子さんの目から、みるみるうちに光が失われ、険しいものに変わっていったといいます。
「最初は『ありがとう』と受け取って、いつものように眺めていたのです。でも、突然『お金が減っている!』と声を荒らげて。通帳には、確かに母の年金15万円が振り込まれていました。でも、その後の支出の記載を見て、パニックになってしまったようでした」
通帳には、家賃や光熱費の引き落としに加え、良子さんが生活費として数回に分けて引き出した履歴が記されていました。ここ数年、物忘れが目立つようになった聡子さんを案じ、良子さんが金銭管理を代行していたのです。その引き出しは、病院代や食費、日用品の購入など、すべて聡子さんの健康と日々の生活のために使われた、紛れもないお金でした。
良子さんは、事の顛末を落ち着いて説明しようと試みました。「これは先月の生活費で、これは病院代よ」と、ひとつひとつ丁寧に諭すように語りかけました。しかし、母の耳には、その言葉は届かなかったのです。聡子さんの目に浮かんでいたのは、娘に対する愛情や信頼ではなく、底知れぬ敵意と軽蔑の色でした。
「こんな大金を使うはずがない。お前が勝手に使ったんだろう!」
その言葉が良子さんの耳に突き刺さった瞬間、彼女の思考は停止しました。長年、献身的に支え、良かれと思って続けてきたサポートが、認知症の進行によって記憶から抜け落ちてしまった母には、「娘による財産の使い込み」としか映らなかったのです。身の潔白を信じてもらえない絶望感と、長年の苦労を踏みにじられた悲しみが、良子さんの心を激しく揺さぶりました。
「信頼していたはずの母から、まるで犯罪者のように詰問され、頭が真っ白になりました」
涙をこらえながら良子さんは語ります。この出来事以降、母のもとを訪れるたびに、あの日の光景がフラッシュバックし、胸が締め付けられるといいます。
「認知症が進み、娘であることすら忘れられる――そんなケースも珍しくないといいますから。それに比べたら、まだ母は私を娘であると理解している……まだマシ、なんでしょうか」
そう自らに問いかける良子さんの言葉は、心の底から滲み出る、拭い去ることのできない悲しみと苦悩を物語っています。