長年勤め上げた末に手にする退職金、そして年金。それらは、多くの人にとって穏やかな老後を送るための大切な原資です。しかし、その計画が予期せぬ「家族」の問題によって、脆くも崩れ去ることがあります。特に、成人した子どもの自立は、現代社会が抱える根深い課題の1つといえるでしょう。真面目に働き、ようやく手にしたはずの穏やかな老後。それがなぜ、実の息子に対する「出ていってくれ」という悲痛な叫びに変わってしまったのか――みていきましょう。
お願いだから、出ていってくれ!〈年金月18万円〉〈退職金1,800万円〉あったはずが、65歳父の絶叫。40年間の努力を奪った「38歳・出戻り長男」という地獄 (※写真はイメージです/PIXTA)

順風満帆だったはずの会社員人生…60歳で手にした「1,800万円」の重み

都内の中堅商社に勤める斉藤隆さん(仮名・65歳)は、今も現役時代と変わらず早起き。6時過ぎには起床し、スーツに袖を通します。これは、40年以上、雨の日も風の日も続けてきた習慣です。同期の多くが第二の人生を謳歌し始めたこの歳になっても、隆さんが満員電車に揺られ続けるのには深い理由がありました。

 

大学を卒業後、いくつかの企業を渡り歩き、定年を迎えた現在の会社では30年弱働きました。定年時に手にした退職金は1,800万円ほど。40年近く社会人として働いてきた1つの成果と感じたといいます。

 

「これで肩の荷が下りると思いました。あとは年金を受け取るようになるまで真面目に働き、その後は年金生活。長期の休みなんて取ったこともなかったので、妻と旅行に行ったり、趣味の釣りに没頭したり。そんな穏やかな老後を夢見ていました」

 

60歳以降は、嘱託社員として同じ職場に再雇用されました。給与は役職手当などがなくなり、現役時代の4割ほどに減りました。それでも、65歳からの年金受給が始まれば、生活に困ることはありません。給与が減ったことで、仕事へのモチベーション維持に苦労する同僚もいました。しかし隆さんは、長年培った知識と経験を後進に伝えることにやりがいを見出し、黙々と働き続けました。

 

そして65歳。年金の受給が始まりました。月額にして約18万円。退職金と合わせれば、もう働かなくても十分に暮らしていけるはずでした。会社の制度上は70歳まで働くことができます。隆さんは、迷うことなくその選択をしました。いや、せざるを得ませんでした。穏やかな老後の計画は、数年前に音を立てて崩れ去っていたからです。

 

「老後破綻だけは避けたい、その一心です」

 

老後は安泰なはず――それにもかかわらず、働くことを選んだ隆さん。その原因は、自宅の2階に住む、38歳になる長男・将太さん(仮名)でした。