高齢期の住まいは、多くの人にとって大きな関心事です。「終の棲家」として有料老人ホームを選択する人も増えていますが、そこが安住の地とは限りません。人間関係のトラブルや心身の変化など、予期せぬ理由で退去を余儀なくされるケースは決して他人事ではないのです。そうなった時、もし戻るべき家も、頼れる家族もなかったとしたら……。「老人ホームからの強制退去」という厳しい現実をに1人の男性が直面した
もう出ていってもらえます?〈年金18万円〉78歳父「老人ホームから強制退去」。戻る自宅もなし、家族も頼れず、途方に暮れるしかない絶望 (※写真はイメージです/PIXTA)

「お前たちに財産はやらん」…家族と決別し、高級老人ホームへ

「『もう出ていってもらえますか』と、施設長に真顔で言われましてね。頭が真っ白になりました」

 

そう力なく語るのは、鈴木正雄さん(78歳・仮名)。高級老人ホームで悠々自適の生活を送っていましたが、施設から退去勧告を受けたといいます。なぜ完璧な老後が、音を立てて崩れ去ったのでしょうか。

 

「もともと、家族とはうまくいっていなかったんです。特に、家内が亡くなってからは……」

 

鈴木さんは、自らの半生を振り返るように、ぽつり、ぽつりと話し始めました。かつては中小企業の社長として会社を切り盛りし、そのワンマンな気質は、家庭でも絶対的なものでした。しかし、唯一の理解者であった妻を10年前に亡くして以降、長男の健一さん(50歳・仮名)、長女の良子さん(48歳・仮名)との関係は急速に冷え込んでいったといいます。

 

「私が心配してやっているのに、息子も娘もだんだん寄り付かなくなりました。『親を捨てる気か』と怒ったことも一度や二度ではありません」

 

しかし、後日、筆者が話を聞いた長男の健一さんは、まったく違うニュアンスで当時を語ります。

 

「父から感謝された記憶が、一度もありません。顔を合わせれば昔の自慢話か、私たちの仕事や家庭へのダメ出しばかり。気遣って電話をしても、機嫌が悪ければ罵倒される。正直、関わるのが苦痛になってしまったんです」

 

親子間の溝は埋まることなく、ついに鈴木さんは大きな決断を下します。

 

「あいつらに財産をやるくらいなら、全部自分で使ってやろう、と。先祖代々の家も土地も全部売っ払って、高級老人ホームに入ったんです。『お前たちには1円もやらんからな』と電話で伝えたら、息子は『そうですか』とだけ。それが最後の会話です」

 

内閣府『令和6年高齢社会白書』によると、住み替えの意向をもつ高齢者は30.4%*。住み替え意向をもつようになった理由として最も多いのが「健康・体力面で不安を感じるようになったから」で24.8%。「自身の住宅が住みづらいと感じるようになったから」、「自然豊かな環境で暮らしたいと思ったから」と続きます。将来不安など、ベースになるものはさまざまですが、よりよい環境を求める傾向があります。鈴木さんのように、「家族への感情/相続」を理由に住み替えを実現するのは、かなり思い切ったものだといえるでしょう。

 

*「住み替え意向がある」、「現時点ではその意向はないが、状況次第で将来的には検討したい」の合計

 

「ホームでの暮らしは最高でしたよ。食事はうまいし、風呂は温泉。煩わしい家族関係もない。自分の判断は正しかったと、本気で信じていました」

 

しかし、その自信が仇となります。鈴木さんは、新しい環境でもこれまでの振る舞いを変えられませんでした。スタッフへの横柄な物言い、他の入居者を見下した態度。次第に孤立を深めていきました。決定打となったのは、他の入居者との口論の末に相手を突き飛ばし、転倒させてしまったこと。これが「他の入居者の生活の平穏を著しく害する行為」とみなされ、強制退去に至ったのです。