(※写真はイメージです/PIXTA)
「もう限界だ」…息子の告白と、涙も枯れた母の末路
決定的な日は、突然訪れました。ある晩、珍しく思い詰めた表情で正雄さんが幸子さんの家を訪ねてきたのです。そして、リビングの椅子に深く腰掛けると、絞り出すような声でこう告げました。「母さん、ごめん。もう限界だ」と。
「何を言っているのか、最初は理解できませんでした。何が限界なのかと聞き返すと、息子はポツリ、ポツリと話し始めたのです。私が預けたお金は、もうほとんど残っていない、と」
きっかけは、数年前に世間を騒がせた暗号資産のブームでした。テレビやネットニュースで「億り人」という言葉が飛び交い、ごく普通の人が一夜にして大金持ちになる姿を目にするたび、正雄さんの心には漠然とした焦りと憧れが募っていきました。
「真面目に働いて、コツコツ給料をもらうだけの日々で、俺の人生はこのまま終わるのか……」
そんな思いを抱えていた時、同僚との雑談で暗号資産の話が出ました。「試しに少しだけ」と、ボーナスの一部を使って有名なコインを購入。すると、運良く価格が上昇し、あっという間に数十万円の利益が出たのです。
「こんなに簡単に稼げるのか!」
この成功体験が、正雄さんの金銭感覚を狂わせる始まりでした。彼は「自分には才能がある」と錯覚し、地道に働くことが馬鹿らしくさえ思えてきました。次々と新しい、いわゆる「草コイン」と呼ばれるハイリスクな資産に手を出し、SNSやネットの情報を鵜呑みにしては、一喜一憂する日々を送っていました。
しかし、華やかな時間は長くは続きませんでした。世界的な金融引き締めをきっかけに、あれほど熱狂していた暗号資産市場は、冷え込みを通り越して暴落。「冬の時代」が到来したのです。正雄さんの資産は、みるみるうちに価値を失っていきました。
「ここでやめられない。今が底値のはずだ。次の上昇で一気に取り返せる!」
損失を取り戻したい一心で、ついに幸子さんから預かっていた貯蓄に手をつけてしまいました。「これは一時的に借りるだけだ」と自分に言い聞かせながら、次々と資金を投入しました。しかし、市場はさらに下落を続け、気づけば、夫婦で築き上げた数千万円の貯蓄は、ほぼゼロになっていたのです。
「ネットで夢みたいな話ばかり見て、俺もそうなれるんじゃないかって、舞い上がってたんだ……」
最初は、何を言っているのか理解できませんでした。しかし、息子に預かってもらっていたお金はもう戻ってこないことだけは理解できました。こみ上げてきたのは、怒り、やるせなさ、悲しみ……よくわからない感情で、涙がこぼれてきました。
息子だからと無条件に信頼した自分が愚かで、どうしようもありません。これからどうやって生きていけばいいのか。頼れるものは月に16万円の年金だけ。自宅を売れば、何とかなるかもしれない……。幸子さんは必死に頭を働かせたといいます。
このように家族による財産の使い込みは、決して珍しい話ではありません。裁判所『司法統計(令和4年)』によると、成年後見人等による不正な財産処分のうち、約58%が親族後見人によるものです。また、成年後見制度の申立て動機で最も多いのは「預貯金等の管理・解約」であり、高齢者の財産が管理不全に陥りやすい状況を示唆しています。幸子さんのケースとは状況が異なりますが、いずれも「家族だから」と安易に管理を任せた結果、チェック機能が働かなくなるケースが多く見られるのは確かです。
では、このような悲劇を未然に防ぐ手立てはないのでしょうか。
最も重要なのは、お金の話をタブー視せず、家族が元気なうちから将来について誠実に話し合うことです。その上で、親子間のような近しい関係であっても、お金の管理を任せる際には「財産管理委任契約」といった書面を交わすことが賢明です。定期的な収支報告を義務付けるなど、透明性のあるルールを設けることは、お互いの疑念をなくし、かえって信頼関係をより強固なものにしてくれるでしょう。
本人の意思が明確なうちに、信頼できる家族へ財産の管理・承継方法を具体的に託しておく「家族信託」や、万が一、本人の判断能力が低下してしまった後でも、家庭裁判所が選任した成年後見人が財産を法的に保護する「成年後見制度」といったセーフティネットもあります。
いずれにせよ、これらの方法は決して家族の信頼を否定するものではありません。むしろ、愛情や信頼といった目に見えない絆を、現実的なリスクから守るためのもの、といえるでしょう。
[参考資料]