かつては一部の専門家だけのものだった投資も、インターネットやスマートフォンの普及により、今では誰でも簡単に手を伸ばせる時代になりました。便利さと手軽さの裏には、思いがけない落とし穴が潜んでいることも。自由な老後の時間とお金、その使い方を誤ったとき、待っていたのは意外な結末でした。
ハメを外しました…〈年金28万円〉真面目一筋だった66歳夫、65歳妻に隠れて始めた「夜の愉しみ」の果てに待っていた絶望と後悔の日々 写真はイメージです/PIXTA

悪夢の電話と、一瞬で消えた1,000万円

ソニー生命保険株式会社『シニアの生活意識調査2024』によると、全国のシニア(50歳~79歳)の男女に現在の楽しみを聞いたところ、1位「旅行」(45.3%)、2位「テレビ/ドラマ」(39.9%)、3位「グルメ」(28.1%)、4位「映画」(25.9%)、5位「読書」(22.3%)。「資産運用」は14.7%で、男女別でみると、男性21.2%、女性8.2%。老後、資産運用にのめり込む夫は、意外にも多そうです。

 

FXの取引にのめり込むにつれ、鈴木さんの生活リズムは完全に昼夜逆転しました。為替市場が最も活発に動くのは、ロンドンの市場とニューヨークの市場が開いている日本時間の午後9時から深夜2時頃。この時間は、トレーダーたちの間で「ゴールデンタイム」や「魔の時間」とも呼ばれ、大きな利益を狙える一方、リスクも最大限に高まります。

 

「少額で稼ぐことにじれったさを感じていました。『もっと大きく張れば、もっと儲かる』という考えに取り憑かれていたのです。退職金には手を付けないという最初の誓いは、いつの間にか消え去ってしまいました」

 

鈴木さんは、銀行の定期預金を解約し、次々とFXの口座へ資金を投入していきました。100万円、200万円、そしてついには、老後の命綱であるはずの退職金のほぼ半分、1,000万円近くをつぎ込んでいました。そして運命の日。その夜も鈴木さんは、いつものようにパソコンの前に座っていました。ある経済指標の発表をきっかけに、為替レートが滝のように急落します。画面上の自分の資産を示す数字が、凄まじい勢いで赤く染まり、減っていく。心臓が凍りつくような感覚だったといいます。

 

「どうにかなる、きっと戻る。そう自分に言い聞かせましたが、無駄でした。あっという間に、画面に『ロスカットが執行されました』という無機質な文字が表示されたんです」

 

ロスカットとは、投資家の損失が一定水準以上に拡大するのを防ぐため、保有しているポジションを強制的に決済する仕組みです。しかし、相場の急変動時には、このロスカットさえ間に合わず、預けた証拠金以上の損失、つまり借金が発生することもあります。

 

呆然とする鈴木さんのスマートフォンが鳴ったのは、その直後のことでした。ディスプレイには、証券会社の名前。震える手で電話に出ると、告げられたのは「追加証拠金(追証)が約100万円発生しております」という、悪夢のような知らせでした。

 

「頭が真っ白になりました。何が起きたのか、理解できませんでした。ただ、もう終わりだ、としか言えませんでした」

 

夜が明け、いつもと変わらない様子で「おはよう」と微笑む妻の顔を、誠一さんはまともに見ることができませんでした。旅行に行こう、美味しいものを食べよう。そんな約束を、自分の愚かな行為で叶えられそうもありませんでした。鈴木さんに残ったのは大きすぎる後悔と、智子さんには言えない秘密だけでした。

 

老後の資産形成において投資は有効な選択肢の一つですが、一歩間違えれば大きな損失を被る危険性もはらんでいます。今回の悲劇から、学ぶべき老後の資産運用の鉄則は3つ。

 

生活費と投資資金は明確に分ける

老後の生活の基盤となる年金や、万が一のために備えた預貯金には決して手を付けてはいけません。投資は、あくまで「なくなっても生活に支障が出ない」余剰資金の範囲で行うのが大原則です。

 

商品のリスクを十分に理解する

FXや暗号資産など、ハイリスク・ハイリターンな商品は、大きな利益が期待できる半面、短時間で資産の大部分、あるいは全てを失う可能性があります。自分がどれだけのリスクを許容できるのかを冷静に判断し、理解できない商品には手を出さないことが賢明です。

 

家族と情報を共有する

「家族に心配をかけたくない」という思いが、かえって事態を深刻化させることがあります。特に夫婦間では、家計の状況や資産運用の方針について日頃からオープンに話し合い、情報を共有しておくことが重要です。そうすることで、一方の判断が暴走するのを防ぐ抑止力にもなります。

 

穏やかな老後を送るために築いてきた大切な資産。それを一瞬の過ちで失うことのないよう、常に冷静な判断を心がけたいものです。

 

[参考資料]

総務省『令和4年通信利用動向調査』

ソニー生命保険株式会社『シニアの生活意識調査2024』