長年の勤めを終え、「夢のセカンドライフ」を自然豊かな地でスタートさせる。そんな理想を抱く人は少なくありません。しかし、絵に描いたような暮らしの裏には、予期せぬ「現実の壁」が潜んでいることがあります。 本記事ではAさんの事例とともに、老後の移住における注意点について、CFPの伊藤貴徳氏が解説します。※プライバシー保護の観点から、相談者の個人情報および相談内容を一部変更しています。
軽井沢移住なんてやめればよかった。「退職金2,000万円・年金26万円」65歳定年夫婦の後悔…移住半年後に覚えた猛烈な焦燥感→騙し騙し暮らした3年後、東京帰還の決定打となった「深刻な事態」【CFPの助言】 (※写真はイメージです/PIXTA)

軽井沢の静かな時間、豊かな自然

移住当初は、まさに絵に描いたような理想の生活でした。

 

購入した物件は地元の不動産業者に紹介された別荘で、築年数が経過しながらも、しっかりと管理されていたことが決め手になりました。周囲は木々に囲まれ、春は芽吹きの緑、夏は涼やかな風、秋は色づく紅葉、冬は真っ白な静寂――四季折々の自然が生活そのものに溶け込んでいます。

 

「朝起きてカーテンを開けると、窓いっぱいに広がる森の景色。それだけで心が洗われる気がするんです」とAさん。

 

新生活が始まってからは、朝に夫婦で散歩をするのが日課に。近所には地元の有機野菜を販売する無人販売所があり、散歩のついでに旬の野菜を手に入れる楽しみも加わりました。週に数回は、駅近くのカフェまで足を延ばし、ゆっくりコーヒーを楽しむのがAさんの趣味に。妻は地元の手芸サークルに参加し、参加者との交流も深めていきました。

 

さらに、移住者同士の交流も盛んで、「Uターン組」「Iターン組」と呼ばれる人たちと自然とつながりができ、バーベキュー大会や季節のイベントにも参加するように。「移住前は、田舎では“よそ者扱い”されるんじゃないかと不安もありました。でも実際は、同じように都会から来た人たちもいて、みんなで支え合う雰囲気を感じたんです」と妻はいいます。

 

都会の喧騒から解き放たれ、時間にも心にもゆとりが生まれる暮らし。通勤に追われていた日々が遠い昔のように思えるほど、Aさん夫婦は心から「移住してよかった」と実感していました。

 

しかし、その“理想郷”が、永遠に続くものではないことに、ふたりが気づきはじめたのは、それから半年後のことでした。

移住半年後に覚えた猛烈な焦燥感

それははじめ、夫婦の会話に「なんとなくの違和感」として現れました。

 

「ちょっと、今月のガス代見た?」「うん……びっくりしたわ。薪ストーブだけじゃ足りないってわかってたけど、こんなにかかるなんて……」「灯油代と電気代を足すと、東京にいたときの倍以上だよ」――軽井沢の冬は都心とは比べものにならないほど寒く、朝晩の冷え込みも厳しい地域です。リフォーム時に断熱を強化したつもりでも、やはり暖房費は想定を上回るものでした。

 

さらに、家計を圧迫したのは車の維持費です。移住後は夫婦それぞれ1台ずつ軽自動車を保有していましたが、タイヤ交換、車検、定期点検……その費用は徐々にAさんを不安にさせます。

 

「駅まで歩けない距離だし、買い物も病院も車がなきゃ無理。でもこの歳で2台は維持しんどいな……」という言葉も漏れるように。妻も「私、最近ちょっと膝が痛いの。病院、片道30分もかかると行くのが億劫になっちゃうのよね」と零します。軽井沢は観光地としては整っていますが、通年居住となると医療機関の数やアクセスに課題があり、特に高齢者にとっては、距離や天候が受診の大きなハードルになることを痛感しました。

 

加えて、地元のコミュニティ活動や町内会費も、地味に出費がかさむ要因に。最初は「地域に溶け込むための必要経費」と考えていたAさんですが、固定的な年金収入のなかで出費が増える一方、貯蓄に手をつけざるを得ない状況が続きます。

 

「年金で暮らしていけると思ってたけど、思ったより出費が多いし、貯金の取り崩しが早い気がするわ……」

 

老後生活に「ゆとり」と「安心」を感じていたはずのAさん夫婦。しかし、現実には「想定外の支出」と「不便さ」が少しずつ精神的な負担となり、“理想の生活”と“実際の暮らし”にズレが生じはじめていたのです。