
夫の「定年」とともに始まった「違和感」のある生活
桜井浩一さん(仮名・60歳)は、都内の大手メーカーで40年近く勤め上げ、60歳の定年を迎えました。最後の15年間は地方の営業所に単身赴任。帰京したのは、およそ1年ぶりのことです。定年時に退職金2,500万円を手にしましたが、再雇用を選択。本社勤務で9時出社、17時半終業のルーティンが始まります。残業することはほぼありません。
仕事は続けるものの、自由時間は大幅に増えます。その分、妻・恵子さん(仮名・58歳)とふたり、ゆっくり過ごせる――そう思っていました。しかし、現実はそのようには進みません。
「今日のご飯なに?」
帰宅した最初の夜、浩一さんが発したひと言が恵子さんの心をざらつかせました。本人に悪気はなかったのでしょう。ただそれは「家事はこれからもあなたがやるんだよね?」と無意識に役割を押しつけるような響きがあったといいます。
浩一さんは長年単身赴任をしてきましたが料理は苦手で、食事はいつも行きつけの定食屋で済ませていました。長年のひとり暮らしにもかかわらず、家事力は少しも向上することなく帰ってきたのです。食事の準備はもちろんのこと、家事全般は恵子さんの役目であり、自分は一家の大黒柱――そのように考えています。
一方で、恵子さんも長くパート勤務を続けており、家にずっといるわけではありませんでした。
「夫が戻ってきたら生活がにぎやかになると思っていたんですけど……実際はただ疲れるんです」
浩一さんは定年を迎えたとはいえ、会社では経験豊富な人材として一定の存在感を持ち、任される仕事もあります。立場は契約社員で「責任がないから気楽だ」と口にする一方で、頼られることも多いといいます。そのため、以前のようにバリバリ働くわけではありませんが、今も現役感を漂わせています。だからこそ、仕事から帰ってきたあとは、ただご飯が出てくるのを待つだけなのでしょうか。
一方、恵子さんは、これまで単身赴任の夫に代わって子育てと仕事を両立させてきました。2人の子どもたちはどちらも立派な社会人となり、3年ほど前からは自宅で恵子さんひとりの気楽な時間を過ごせていました。そこへ単身赴任から帰ってきた夫が、いつまでもお客様状態なのですから、疲れて当然です。