1971年~1974年に生まれた団塊ジュニア世代。好景気に沸く中学・高校時代に描いた“明るい未来”とはかけ離れた現実を生きている人がいます。大卒で証券会社に入社し、出世コースを歩んだ河島誠司さん(仮名)もその一人です。ルポライター増田明利氏の著書『今日、50歳になった 悩み多き13人の中年たち、人生について本音を語る』(彩図社)より、50代の“生の声”を紹介します。

悔しい…年収300万円“元証券マン”の53歳・契約社員が嘆く〈団塊ジュニア世代〉で「社長になる人」と「時給1200円で働く人」の差【ルポ】
「ハローワークの利用は2回まで」のワケ
今の仕事を得たのは21年10月。日曜日の朝刊に入っている折り込みの求人チラシに載っていたものだ。
「失業するたびに求職方法がランクダウンします。就職支援会社や人材銀行、ハローワークでしかるべき会社を紹介してもらえるのは2回まで。3回目以降は無料の求人情報誌、新聞折り込み、NPOがやっている高齢者専門の斡旋事業などを頼るようになる。
駅やスーパーにおいてあるタウンワークとかジョブアイデムに銀行、商社、外資系の求人は載っていないでしょ。募集している職種だって高度専門職とか資格の必要なものはまず見ない。これが現実ですよ」
現在は契約社員として「時給1,200円」で働く日々
クリーニング工場での仕事は洗濯物の回収と配達。午前中は宿泊施設、病院、老人ホーム、学校、会社の寮などを回って汚れ物を工場に持ってくる。午後は仕上がったものをそれぞれに届ける。
「週末は事業会社から制服がドッと出てきます。今でも女性社員は制服着用の会社が多いんですね」
小中高校は学期末になると教室で使っていたカーテンを出してくるので仕事量は潤沢のようだ。
処遇はどうかというと契約社員、しかも契約期間は6か月間というもの。何年か経てば正社員になるとか職種が転換するということはない。ずっと配送作業員のままだ。
庶務課の主任は時給が30円も上がったと言っていたが、それでも時給は1,200円。1日8時間、月24日稼働で5,760円しか上がらない。大手企業の春闘妥結額の3分の1程度だ。
「時給が30円上がっても月収は23万円ぐらいだね。夏冬は慰労金が出るけど正社員じゃないから金額は5万円。今年の見込み年収は280万円ぐらいだからワーキングプアだと思いますね」
これまでで年収がもっとも高かったのは2社目の証券会社時代。僅かだがITバブルにかすったので年収550万円という年があったが、これがピークで後は下がる一方だ。
「警備員時代は350万円ぐらいの年収があったけど、この2年間は270万円台がやっと。今の仕事をやってても年収300万円を超えることはないと思う」