1971年~1974年に生まれた団塊ジュニア世代。好景気に沸く中学・高校時代に描いた“明るい未来”とはかけ離れた現実を生きている人がいます。大卒で証券会社に入社し、出世コースを歩んだ河島誠司さん(仮名)もその一人です。ルポライター増田明利氏の著書『今日、50歳になった 悩み多き13人の中年たち、人生について本音を語る』(彩図社)より、50代の“生の声”を紹介します。

悔しい…年収300万円“元証券マン”の53歳・契約社員が嘆く〈団塊ジュニア世代〉で「社長になる人」と「時給1200円で働く人」の差【ルポ】
証券会社から転職した先は「消費者金融」
ネット証券も台頭してきたので新たな受け皿はなし。就職支援会社に通ってどうにか見つかったのが消費者金融だった。
「正直なところあまり気乗りしなかった。我々の世代だと“サラ金”と下に見ていたし、かなり問題を起こしていたので社会的評価が低かったから」
本音を言えば嫌だったが妻子のある身。給料も就職支援会社に来ていた他社より良い。生活の糧を得るため、妻子を養うためと思うようにした。
「豊田市の支店に置かれて融資審査、督促回収、法的処理などを担当しました。朝夕にはティッシュ配りもやりましたよ」
収入的には年収430万円ぐらいあったし、大手各社が派手なCMを流したのでイメージは変わっていた。だが、最高裁が『グレーゾーン金利は違法』としたことで状況が一変する。
「弁護士や司法書士から過払い金の返還請求が山のように来た」
更に闇金対策で貸出額に総量規制が掛けられるようになったので新規の貸出しは最小限。回収方法も以前のようなやり方は通用しない。これで業績は悪くなる一方だった。
「支店の閉鎖、統合、無人化などがあり希望退職の募集も始まったのでもう駄目だと諦めた。僅かでも退職金を貰ってバイバイした方が得策だと思いました」
消費者金融会社を辞めたのは15年6月。年齢は43歳になっていた。「アベノミクスとか異次元の金融緩和と言っていた頃だけど職探しは厳しかった。既に3回の転職経験があるから腰の落ち着かない人間と思われたのか。何か問題があるのかと勘繰られたのか。早い話、信用できない人物という評価だよ」
求人情報を頼りに履歴書や職務経歴書を送っても1週間後には返送してくる。精神的にも辛い毎日だった。
「失業手当は日数が決められているし、子ども2人は当時まだ義務教育期間。これから大きな教育費が必要になってくるのだから職種がどうだと言っている場合じゃない。事務や営業などのホワイトカラー的な仕事を諦めたら簡単に警備会社に採用された」
警備士になって名古屋市中心部辺にあるいくつかのオフィスビルに派遣され、約6年働き現場の管理職にもなったが一帯の再開発のためまた暗転。
「他の地区の現場に異動だろうと思ってたけど、どこも人は足りている。一部は夜間だけ機械警備に切り替えるので移れる場所はない。辞めてくれということでした。納得できないけど怒ってもどうにもならんしね。分かりましたと身を引いたわけです」
警備会社を辞めたのは21年7月。世の中は新型コロナで右往左往していた。
「ハローワークには通いましたが年齢制限があるものが多かった。雇用形態も契約や嘱託、パート、アルバイトというものが結構ありました。年齢制限がない何社かに電話で問い合わせたけど年齢を言ったら『難しいですね』とやんわり断られました。本当はいけないんですが、ハローワークに内緒でウーバーの配達おじさんをやっていたけど嫌だったなあ」