診察や治療を受けている患者にとって、医者の「言葉」はとても重要なものです。「心配ない」という言葉を聞くと、それだけで安心する人も多いのではないでしょうか。しかしながら、外科医にとって「心配ない」はタブーであると、医師の松永正訓氏はいいます。そこで本稿では、医師の松永正訓氏による著書『患者の前で医者が考えていること』(三笠書房)から一部抜粋し、医者が「心配ない」と言うときの本心と、どこまで信じてよいものなのかについて解説します。
開業医の診断は消去法
一方、開業医になってからはどうでしょうか。クリニックを訪れる患者家族は心配しすぎていることが大変多いと言えます。咳の期間が長いと喘息ではないかと心配し、発熱が少し長引くと肺炎ではないかと心配し、患者家族の心配は尽きません。
よく話を聞いてみると、ママ友から「それってヤバいんじゃない?」とおどかされて受診する人もいます。そして、ネットで怪しい情報に引っかかり、心配になって受診する人もいます。
医者は、発熱や咳がある患者さんを診れば、常に「喘息では?」「肺炎では?」と疑いながら診療しています。そういった最悪のケースの可能性を潰していきながら、「普通の風邪の範疇(はんちゅう)」に収まっていると判断します。
つまり、消去法によって診断しているのです。患者家族に指摘されて初めて喘息に気づくということは100%あり得ません。
ママ友の助言はもちろん善意の助言です。自分の子どもが何か大きな病気を経験すると、それをほかの親にも伝えたくなります。ママ友は医療従事者ではありませんから、自分の体験をそのまま人に伝えます。他人の子どもに同じことが当てはまっているかは考えません。そして、少し深く考えれば自分の子には当てはまらないと分かるはずなのに、目立つワードに引きずられて心配になってしまうことが多いようです。
先日受診した患者家族は「うちの子は二次溺水ではないか?」と聞いてきます。理由を尋ねたら昨日プール遊びをして、今日になって咳がたくさん出るからだそうです。
二次溺水とは、水の中で溺れた子が、翌日以降に肺に残った水が原因となって呼吸器症状が出たり、肺水腫という重篤な状態になったりするものです。なるほど、それが心配なんですね。でも、そもそも昨日、溺れましたか? そんなことはない? では一次溺水はなかったのですね。だったら二次溺水ではありません。
もちろんクリニックには重い病気の子が来ることがあります。そうしたお子さんは、軽い病気の子どもたちの中に埋もれていて見つけるのが難しかったりします。ですから、軽症の中の重症を見つけるのが開業医の仕事とも言えます。