がん保険を選ぶ際、種類が多くてどれが適切なのか、多くの人は迷うでしょう。その際、保険担当者から「治療給付金」主体のがん保険を勧められることがあるかもしれません。説明を受けると、なるほどもっともだと、感じるかもしれませんが、実際にがんに罹患し、保険を使うことになると……。本記事では、坂田ひかるさん(仮名/41歳)の事例とともに治療給付金主体のがん保険の注意点について、株式会社ライフヴィジョン代表取締役のCFP谷藤淳一氏が解説します。
保険担当者の助言どおりの「がん保険」に加入した年収550万円の41歳会社員…大腸がん罹患から3年後、大後悔した「悲しすぎる理由」【CFPが解説】 (※写真はイメージです/PIXTA)

担当者の思い込みで引き起こされる不適切な保険選択

今回の事例の坂田さんは、がん保険の治療給付金という『がん治療を受けたら月に1回20万円受け取れる保障』を治療費への備えだけでなく、収入が得られないときの収入保障という目的で加入していました。

 

治療の前半においてはほぼ毎月続いていた通院治療でお金を受け取り、治療費をまかないかつ減少した収入を補填できて非常に助かっていました。ところが、体調が悪化して収入が得られなくなったときに治療も中断となり期待していたお金を受け取れないというとても辛い結果を招いてしまいました。

 

保険加入に対する考え方はそれぞれあってもよいとは思いますが、原則的には『最も厳しいシナリオに対して経済的な保障をしてもらう』ということが保険加入の目的だと筆者は考えています。つまり、がんの保障においては、がん闘病中において経済的に最も厳しい状況、まさに今回のように仕事ができず収入が得られない状況をあらかじめ想定し、そこに対して保険で保障するかどうかを検討すべきといえます。

 

そういった意味で今回のような事例は加入時点でのがん治療に対する想定に問題があり、保険加入した坂田さんががん保険選択時に提供された情報が不適切であった可能性があります。保険担当者はがん保険に関する知識は当然持っていますが、がん治療の実態について詳しい知識を持っているかどうかにはバラツキがあるものと考えられます。

 

根拠のない『治療を受けているはず』は不適切

一般的に体調が悪くなったりなにか病気の発症があれば、治療を受けることが当たり前という感覚はあるかと思います。ところが、がんの場合、体調や体力が整わないため治療を中断・中止するという選択をすることがあります。

 

2023年11月、ミュージシャンで自らの大腸がんを公表している桑野信義さんがそれまで行っていた抗がん剤治療を中止したことを自らのブログで発信したことが報道され、話題となりました。理由は吐き気や下痢など重い副作用に悩まされていたということですが、こういったことは実際に起こり得ることです。また、がん患者自身は治療を受けたいと思ったとしても血液検査の結果などにより、医師のほうから治療の中断を指示されることもあります。

 

こういった現在のがん治療に関する情報を入手することはそれほど難しいことではありません。しかし、自らそういった情報に触れ知識を高めようというアンテナを張っていなければ得ることはできません。そういった情報を持たずに安易に『がんが悪化していれば治療を受けているはず』という思い込みで保障選択に関するアドバイスをすることは不適切といえるかもしれません。

 

『治療給付金』で収入保障は不適切

近年がん保険の主流になりつつある『治療給付金』。その保障内容はがんの3大治療(手術・放射線・抗がん剤)を受けたとき、月額10万円をお支払いといった内容のものが一般的です。

 

また、がん保険商品によって、

 

・3大治療が公的医療保険制度の対象に限られるものと自由診療も含むもの

・3大治療だけではなく緩和ケアの治療も支払い対象とする

 

といった違いがあります。月額の金額も5~30万円など自分で選べるものが多くあります。

 

がんの生存率が高くなっていることから治療も長期化している傾向があり、当然ですがその分累計の治療費も高額になっていきます。そういったことを考えると、こういった治療給付金の保障でがん治療費に備えるということには一定の合理性があると考えられます。

 

ただしその際に注意すべきこと。それは『治療給付金はあくまでがん治療費の支払いのために加入する』という加入目的を忘れないことです。先ほどの事例のとおり、体調が悪化しているにもかかわらずがん治療を中断・中止するケースがあります。

 

治療を受けない限り治療給付金はまったく機能しません。受け取る金額を高めに設定することで『治療費支払いをしてもお金が余るようにして、それを収入減の補填に』というアドバイスをする保険担当者もいるようですが、場合によっては、がん治療の実態をそれほど知らないなかで語っている可能性も否定できません。