落ち着いた雰囲気と洗練された住宅街のイメージが強い世田谷区。23区内でもかなり高い緑被率を誇り、自然にも恵まれた地域です。今回はそんな世田谷区の住みやすさについてデータとともに解説します。
落ち着きと洗練された住宅地が広がる「東京都世田谷区」住みやすさをガチ評価【データで紐解く東京⑩】 (※写真はイメージです/PIXTA)

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世田谷区の住みやすい街6選

世田谷区でとくにおすすめしたい住みやすい街6つをご紹介します。区全体の洗練されたイメージも強い世田谷区ですが、街ごとの特徴もさまざま。ぜひ不動産選びの参考にしてください。

 

【瀬田・玉川】再開発で新たな魅力を増す歴史と伝統の街

 

世田谷区の南端、東急田園都市線・大井町線の2路線が利用できる二子玉川駅が最寄りの両エリア。駅の北側、高台の静かな住宅街である瀬田は、伝統的なインターナショナルスクールがあることで知られています。多摩川が近く緑が多いこの一帯は、明治から昭和にかけて、多くの財界人が別邸を構えました。

 

一方、玉川の最大の魅力は、広大な開発プロジェクトである「二子玉川ライズ」。あらゆるモノや食が手に入るだけではなく、「蔦屋家電」など新形態のショップがあったり、マルシェやワークショップが盛んだったりとアクティブな生活が楽しめるでしょう。公園や広場など、屋外でのんびり過ごせる場所にも恵まれている点もポイントです。

 

【地名の由来】

「瀬田」は「瀬戸」がなまったもので、「瀬戸」とは狭小な海峡という字義がありました。しかし、海のあるなしにかかわらず、狭い出入口をいうようになり、狭い谷地も「瀬戸」というようになりました。「瀬田」「瀬戸」という地名は、狭い海峡のみでなく内陸部の山間や丘陵地等の谷地に多く見られます。多摩川沿岸から台地中の谷の多い相当広い区域を含めて古くは「セト」と呼んでいたものがいつしかなまって「セタ」となったようです。

 

明治22年、それまでの奥沢・尾山・等々力・下野毛・上野毛・野良田・用賀・瀬田の8村が合併して玉川村が成立し、瀬田村は大字瀬田となりました。明治45年、府県境界の変更があり、多摩川右岸にあった区域は神奈川県となりました。昭和7年、世田谷区成立時に、玉川村大字瀬田の区域は、丸子川以北が玉川瀬田町となり、また、丸子川以南と大字諏訪河原字向河原をもって玉川町を新設しました。その後、昭和43年~昭和46年の住居表示の実施に伴う町区域の変更で、玉川瀬田町は瀬田1~5丁目、玉川町は玉川1~4丁目に区画されました。

 

【桜上水】大規模開発も課題!水・緑が調和する住環境

 

京王線桜上水駅と小田急線経堂駅の間に広がるこの地域。両駅共に乗り過ごす心配のない終電終着駅です。桜並木や北沢川緑道などの水と緑が調和する自然豊かな環境では、都内でも珍しいでしょう。2015年には、桜上水団地が世田谷区最大規模となる4万7000㎡の敷地を持つ桜上水ガーデンズに建て替えられ、さらに注目が集まっています。

 

【地名の由来】

桜上水駅が地名の由来。駅の北側に流れる玉川上水の堤に桜並木があったことから名づけられた桜上水駅周辺の地域であることから。

【出典】Wikipedia

【参考】東京散歩「東京おもしろ雑学桜上水駅-駅名の由来・地名の由来-」

 

【等々力】希少な自然を身近に感じる、23区唯一の渓谷がある街

 

23区唯一の渓谷である等々力渓谷で知られるこの地域。都内でありながら、青々と茂った緑に包まれ、静かな川のせせらぎの音を聞くことができる希少なスポットです。街のほぼ全域は住宅地で、一戸建てに低層マンションが混在。とくに6丁目は自由が丘に隣接しているので、買い物や散策も楽しみたい方におすすめです。

 

【地名の由来】

「トドロキ」あるいは「トドロ」という地名は全国に多く、たいていは、川の流れの激しいところや滝のあるところにです。等々力渓谷が今の深さになるまでには、何度も崩壊や新しい滝が作られることを繰り返したと推測され、その際の崩壊の音はまさに轟くような音がしたことから、「トドロキ」という地名になったと考えられます。

【参考】世田谷区ホームページ「世田谷区の歴史と特色」

 

【三軒茶屋】おしゃれとノスタルジーの混在する人気な街

 

日常に文化や芸術が溶け込んだこの地域。前のキャロットタワーには2つの劇場があり、様々な催し物も開催されています。名前の由来は、世田谷通りと玉川通りが交差する三叉路に3件の茶屋が合ったことだとか。駅を離れると蛇崩川緑道など緑の多いのどかな住宅街も広がっていて住居にも非常に適した環境です。

 

【地名の由来】

江戸時代、社寺参詣ブームで賑わった大山道と登戸道の分岐するところに「信楽(しがらき)」(後に石橋楼という旅館になる)、「角屋」、「田中屋」の三軒の茶屋が並んでいたことに由来。

 

【成城】住む人のステータスの高さを物語る高級住宅街

 

大正時代に成城学園跡地が宅地分譲されたことから始まった歴史ある高級住宅街。東宝の映画スタジオが近くに出来た影響で、映画スターや監督らが居を構え、知名度が上昇しました。街の景観が損なわれないように、建物の高さや道路幅などの規定を定めた住民協定(成城憲章)が制定されており、今でも緑豊かな景観が保たれています。

 

【地名の由来】

1925年(大正14年)、新宿区牛込から移転してきた成城学園の学園名に由来。なお、「成城」というのは中国の古典「詩経」の大雅の一節にある「哲夫成城(てっぷせいじょう)」<賢い男は国を作るという意味>に由来します。

 

【桜新町】再開発で新たな魅力増す歴史と伝統の街

 

1913年に関東初の郊外開発として造成されたこの地域。その際、近隣の道路にソメイヨシノを植樹したことが、桜新町という町名がつけられたと言われています。一帯はサザエさんの原作者・長谷川町子が居住していたことでも有名。その名もサザエさん通り沿いの商店街は60年以上の歴史があり、昔ながらのお店に加えて、イタリアンやワインバル、和食などの飲食店も多くあります。

 

【地名の由来】

大正2年に東京信託株式会社が関東で初めての郊外開発計画として「新町分譲地」を造成。この道路の両側にソメイヨシノの並木をつくっていて有名になり、玉川電車の停留所もはじめは、「新町」としていたが、後に「桜新町」と改称されたことなどに由来します。

【参考】世田谷区ホームページ「世田谷区の歴史と特色」

 

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