顧問税理士から持ち掛けられた「事業承継対策」に暗雲
家業を頑張ってきたAさんも創業40年を迎え、いよいよBさんへの事業承継を具体的に考える時期となっていました。
そこでAさんが気になったのが自社株の評価です。創業期から依頼していた2つ年上の税理士からも、以前から自社株の対策については指摘を受けていたのですが、その指摘に正面から向き合うことにするのでした。
40年間のAさんの頑張りによって、蓄積してきた法人の自己資本は充実しており、会社の株式の相続税評価額は3億円へと大きく成長していました。大変すばらしいことなのですが、さらに話を詰めていくとだんだんと雲行きが怪しくなってきます。
Aさんが税理士にこの評価額に対して、どれくらいの相続税が発生するのか聞いたところ、税理士からの答えは、
「社長個人の財産を詳しく教えていただかないといけないのですが、会社の株式をBさんが相続することを考えると少なくとも5,000万円からの税額といったとこでしょうか。社長、いまさらですが預貯金や不動産をどの程度をお持ちか詳しく教えていただけますか」
というものでした。
税理士とは法人決算のなかだけでの付き合いが40年間続いており、暗黙知のなかで、個人の資産背景には特に触れずに過ごしてきており、一歩踏み込んだ相続対策、相続税対策はこれまでできていなかったのです。
Aさんとしてもいまさら個人の預貯金額を税理士へ伝えることに引け目も感じます。
実際のところ、Aさんに十分な預貯金があるかというと、手元の預金は4,000万円ほどのもの、生命保険も掛け捨てのものばかりですでに保障が切れようとしています。それら金融資産から奥様の生活資金の確保、Bさんを除いた2人の娘への相続までを考えると、相続税を問題なく払えるほどの預貯金や生命保険が十分に備わっていなかったのです。
Bさんとの社長交代の時期は近付いているようにも思えるのですが、財産の分割をどうするか、税金をどう払うかの道筋を考えていなかったAさんは途端に道筋が見えなくなってしまいました。BさんもBさんで婿養子ということもあり積極的に事業承継のことや納税資金のことを口に出しづらいものがありました。結局、事業承継対策の課題解決は進まず、日々の仕事をまわしながら、時が流れていくのでした。
事業承継対策ができないままAさんが他界…
この2年後、Aさんは71歳のときに病に倒れて他界することになるのですが、この課題は結局解決することなく、その時を迎えてしまいます。
会社の社長職をBさんが引き継ぐのは既定路線として、株式をどうするか、Bさんが納めるべき納税資金の確保、残された奥様の生活資金の確保……。はたまたBさんの妻とその妹とのあいだで、Aさんの残った預金4,000万円をわけ合う際に、家族のなかで綱引きが生じ、大揉め。その後の家族間の関係はAさん生存中の良好な関係とは大きく違うものになってしまうのでした。いまは亡きAさんもあの世で嘆いているかもしれません。
Aさんはどうすればよかったのか?
Aさんがどうすべきだったかですが、早めの準備をしておくべきだったの一言に尽きます。
後継者が見つかったということは大変すばらしいことではありましたが、会社の純資産が積みあがっているということ、それに伴い株価が上昇していることへの対策をどうするのか具体策は後回しになっていました。株価が上がっているということは、Bさんの相続分に偏りがある可能性が高く、それに見合った分割資金の確保ができていたかというとできていませんでした。
先述のとおり、どうしても事業承継というのは明日、明後日、困ることがないため後回しになりがちです。この点は中小企業庁の事業承継ガイドラインも指摘しているところです。Aさんももっと早く税理士の株価対策という言葉に正面から向き合えばよかったのでしょう。
一定の要件を満たせば贈与税・相続税が猶予になる「特例事業承継税制」
この課題の解決には、やはり早い段階で一定期間を定めて家族と課題を共有して、課題解決の落としどころを探すしかありません。期限を決めるために、背中を押してくれる制度といえば、特例事業承継税制が挙げられます。
特例事業承継税制は、株価が上がったために事業の承継に支障をきたす状況に一定解決の道筋をつけるために平成30年4月に創設された制度です。定められた条件をクリアすれば、承継者に株式を贈与した場合の贈与税が猶予(さらに条件を満たせば最終的には免除)されます。
株式の評価を実質ゼロにできる制度ということで非常にインパクトのある制度ですが、適用後のメンテナンスの煩雑さから、適用に向かう動きが忌避されているように感じることがあります。
特にAさんの顧問税理士はAさんの2つ年上、個人で営む個人税理士事務所をAさんと同じように40年間営んでおり、Aさんのみならずご自身の引退も意識されていました。ご自身の引退も視野に入りつつある税理士が新たな特例を導入して、煩雑な手続きを増やして、リスクを背負うというのは、そもそも不可能という言い方もできます。特例の適用には入念な準備と覚悟が必要なのです。
税理士への相談は必須、時にはセカンドオピニオンも必要でしょう。この特例は期限が決まっていることから、一定期間を定めて真剣に考えるのにはいい起爆剤とも言えます。
特例事業承継税制の適用を受けるためには、令和6年3月31日までに後継者や承継後5年間の経営計画などを記した「特例承継計画」を都道府県知事に提出しなければいけません。提出したからといって必ずこの制度を利用しなければいけないわけではありませんし、提出することがデメリットになることはありません。
制度を利用するかどうかは一旦さておき、期限を決めて、事業承継の実際をどうしていくか、具体的な計画を先代、後継者、ご家族含めて検討するにはちょうどいい機会ではないでしょうか。
リスクを受け入れたうえで制度を活用するもいいですし、制度を使わずに真正面から分割、納税と向き合うもよしです。流れのなかに身を任せるのではなく、できるだけ早めに期限を決めて、道筋をつけることが大切ではないでしょうか。
※本記事は、実際にあった出来事をベースにしたものですが、登場人物や設定などはプライバシーの観点から変更している部分があります。また、実際の相続の現場は、論点が複雑に入り組むことが多々あり、すべての脈絡を盛り込むことは話の流れがわかりにくくなります。このため、現実に起こった出来事のなかで、見落とされた論点に焦点を当てて一部脚色を加えて記事化しています。
森 拓哉
株式会社アイポス 繋ぐ相続サロン
代表取締役