ライターは、大人にとって「なりたい職業」の上位を占める仕事です。ライターになるには、どうすればよいのでしょうか? 52歳の誕生日を目前にリストラで失業し、売れっ子ライターへと転身を遂げたしげぞう(地蔵重樹)氏の著書『人生を変える! 50歳からのライター入門』(時事通信社)より、「ライターと学び」を見ていきましょう。
【副業】ライターになるには?売れっ子ライターが教える「コスパ最高の勉強法」 (※写真はイメージです/PIXTA)

ライター志望なら出版業界や養成スクールに飛び込むべき?

「ライターになるには出版社でアルバイトや社員として働いたり、ライターを養成しているスクールに通ったりしなければならないでしょうか?」という質問を受けることがあります。

 

私の答えは「必要ないとは思いますが、経験して損はないかもしれません」です。なんとも歯切れの悪い答えですが、私自身が出版業界未経験者ですし、専門のスクールなどでライティングを学んだこともないため、わからないのです。

 

出版業界経験者がライターになるという話はよく聞きます。

 

特に、出版社で編集業務に従事していた人が独立してライターになるというのは、一昔前なら主流派のコースだったかもしれません。しかし現在は、出版業界とは関係のないさまざまな業界出身のライターさんたちがいます。むしろ、出版業界以外の業界経験者のほうが、それぞれの専門性を強みにできているのではないかと思います。

 

ライター養成スクールに通う必要性についていえば、現在フリーのライターとして活動されている方々のなかで、その手のスクールに通ったことがない人のほうが圧倒的に多いのではないでしょうか。私自身も、完全に我流でライターになっています。

 

ただ、以前、ライター養成スクール出身の有名なライターさんから聞いた話では、テクニカルな学びはあまりなかったけれども、業界へのコネは得られたと言っていました。これは独立するに当たっては、心強いメリットですね。

 

また、現在、私自身がライティングセミナーの講師をしている立場からいうと、我流でもライターにはなれますが、一人で試行錯誤しているとかなり時間と労力を費やすことになります。この部分を、スクールに通ったりセミナーを受講したりすることで、ショートカットすることは有意義だと考えます。

一番コスパが良い勉強法は「読書」

ライター養成スクールに通うことのメリットについて述べましたが、結局は本人のやる気次第だと思うのです。

 

文章の書き方は一人でも学ぶことはできます。

 

たとえば、私が初めてブックライティングの依頼を受けて、いきなり書き上げることができたのは、それまで多くの本を読んできたためだと考えています。たくさん読んでいますから、文章や本の構成というものがどのようなものなのか、だいたいは知っていたのです。

 

近年はライター関係の本がたくさん出版されています。私がライターを始めた頃に比べると、爆発的に増えたのではないでしょうか。特に、Webライティングに関する本は、文章の書き方からSEOに関する知識、そして受注の仕方まで、じつに多くの情報が本から学べるようになりました。

 

私はこれらの「同業者」が書いた本を見つけると、できるだけ読むようにしています。その理由は、自分が誰からもライティングについて学んでこなかったためです。もしかしたら、我流であるがゆえに欠落している部分があるのではないか、という不安が常にあります。実際、読めば何かしらの気づきや学びを得ています。もし、すでに実践しているノウハウが紹介されていても、それはそれで「やはりこのやり方は正しかったんだ」と再確認でき、自信を持たせてくれます。決して無駄ではありません。

 

また、ライティングに関係なくても、興味のある分野の本はたくさん読んでいます。経済、社会、テクノロジー、宗教、オカルト、民俗学、科学、歴史──興味を持った本はなんでも読みます。また、小説も読みます。

 

私がこのように多少ムキになって本を読んでいるのは、もちろん好奇心を満たしたり楽しんだりするためでもありますが、さまざまな知識や考え方、表現の仕方に触れるためでもあります。そして当然、たくさん読むことで、文章の書き方や構成の仕方を学ぶためでもあります。

我流で文章力を磨くには「“良い文章”をたくさん読むこと」

それにしても、ライターをしていていまだに不安に思うのは、「果たして自分がいま書いているこの文章は、良い文章だろうか?」ということです。

 

そもそも良い文章とはなにか。

 

簡単に定義すれば、読みやすく、理解しやすい文章でしょう。「読みやすい」というのは、文法的にも正しく、句読点もちょうどよく、一文の長さがほどよく、段落もまとまりがよい、ということでしょうか。さらに、「理解しやすい」文章とは、論理的で平易、修飾語と被修飾語の関係や主語と述語の関係が明瞭、一文一意であること、そして構成が合理的であることなどでしょうか。

 

私たちライターは、このような「良い文章」をどこで学べばいいのか。

 

多くのスクールやセミナーでは、きっと見本を示して実際に書かせ、添削して指導してくれるのでしょう。

 

そういえば、私が会社員だったときの同僚にテクニカルライターとして入社した男性がいたのですが、やはり自分の文章力に疑問を持って、通信教育で文章を学んでいました。そのため、常に「良い文章とはなにか」ということが頭から離れなかったらしく、いろいろな人のメールや指示書、議事録などを読んでは、「ここは文法的におかしい」などと指摘する習慣を持っていました。

 

ところが彼の書く文章が「良い文章」だったかというと、申し訳ないのですが、私にとっては伝わりにくい文章だな、と感じられました。文章に対する感性が合わなかったのかもしれません。

 

それでは、我流で文章力を高めるにはどうしたらいいのか。この質問には多くの先人たちがすでに回答済みです。それは、「良い文章をたくさん読むこと」です。

 

すると今度は、そもそも「良い文章」をどうやってたくさん見つけるのか、という疑問が生じます。これに対しても多くの先人たちが回答しています。すなわち、「名作を読め」と。この回答に対して私は首を捻ります。「名作ってなんだ?」と。

「名作」にこだわらず、「自分の好きな作家や分野、テーマ」を読もう

私はいわゆる「名作」を読もうと思ったことがあまりありません。興味を持てないからです。自分が興味を持てない文章をいくら読んだところで血肉とはなり得ません。退屈だからです。結局、文字を機械的に目で追うだけになってしまいます。

 

私は書き手の数だけ「良い文章」があってもいいと考えています。だって、司馬遼太郎も谷崎潤一郎も京極夏彦も夢枕獏も、いずれもじつに優れた文章を書いていますが、その文体たるやさまざまです。

 

そして前述した通り、文体には読み手との「相性」があります。私は司馬遼太郎の文体がとても好きですが、ある本好きな知人は、司馬氏の文章はとても読めたものじゃない、と言います。

 

結局のところ、「良い文章」には最低限守るべき文法などはあるものの、じつは書き手ごとに異なった評価基準を持っていても構わないのではないかと思います。

 

それならば、自分が好きな作家や分野、テーマの本を楽しんで読んだほうが学びになるのではないでしょうか。楽しんで読んでこそ、その文体は体に染み込んでくるのです。

 

「良い文章をどうやって学ぶか」という質問に対する私の答えは、「自分が好きな作家や分野、あるいはテーマの本をたくさん楽しんで読むこと」です。

 

となると、やがて自分の文章に好みの文体の癖がついてしまうでしょう。その結果、その文体と編集者や読者との相性の良し悪しという問題が出てきてしまいます。これは仕方ありません。ライターの書く文章は商品ですから、できるだけ多くの人に受け入れられたほうがいいのですが、万人受けする文章はあまりおもしろみがない文章かもしれません。

 

とはいえ、自分の文章が多くの人に褒められればそれは嬉しいものですし、励みになります。私は我流でライターになりましたが、編集者さんや読者さんから「読みやすい」とか「うまい」などと言われれば、やはり嬉しいですし、励みになります。

 

一方、あるクライアントの担当者さんから、「あなたにはライターとしての資質がない」と言われたこともあります。こんなときは開き直って、「あなたには私の文章の良さがわからないのだ」と思えるくらいに自信を持ちたいものです(私はしばらく凹みましたが、食べるために書き続けました)。

 

 

しげぞう(地蔵 重樹)

1962年生まれ。フリーランスライター。ビジネス書のブックライティングを中心に、広報誌や業界誌などの印刷媒体から、企業のオウンドメディアやWebマガジンなどのWeb媒体で執筆活動を行っている。会社員時代、勤務先の経営不振による減俸を補うために副業でライティングをはじめ、リストラが行われた際にフリーランスライターとして独立。

著書に『1日1時間から稼ぐ 副業ライターのはじめ方(第3版)』(自由国民社)、『月10万円も夢じゃない! Webを活用して副業ライターで稼ぐ』(秀和システム)、『駅猫Diary』(洋泉社)がある。