トロッコ問題は、人々の倫理観を浮き彫りにする、正解のない問題です。哲学者フィリッパ・フットの論文のなかで発表されて以来、学術領域を超え、世界中で議論が交わされてきました。
AI技術が進化する現代においては、自動運転車による新たなトロッコ問題が現れる等、より難解な選択を我々に投げかけています。
1. テレビなどで話題になった「トロッコ問題」の基本ストーリー
まずは基本のストーリーをご紹介します。
制御が効かないトロッコ。進む先には、5人の作業員がいます。進行方向を変えるレバーの前に立つあなた。レバーを引けば線路が切り替わり5人を救えますが、今度は切り替えた先にいる1人の作業員が犠牲になってしまいます。
あなたは、1人と5人、どちらの命を選びますか?
1.1. 5人を助けるために1人を犠牲にするかどうか
トロッコ問題は、緊急事態を知らせ作業員を避難させる等、レバーの操作以外は出来ない設定です。また、レバーを引いたことによる責任も問われません。1人の命に目をつむり5人を助けることの是非を問います。
命の数だけを見れば、当然5人を助けることを選びます。しかし、5人の命を守ることは、レバーを引くという自らの行動で人の命を奪うことでもあるのです。5人を助けるためとはいえ、自分の行動で他人の命を奪うことに耐えられないなら、何もしないという選択もあります。
しかし、この選択は、5人の命を奪うことになります。
1.2. 答えとして2つの選択肢が与えられている
トロッコ問題が問いかけているのは、5人を助けるために1人を犠牲にするかどうかです。
自分が行動することで1人を犠牲にするor何もせず5人がそのまま犠牲になる、この2つの選択肢が与えられます。ここには、救う人数の選択と、自ら行動するかどうかの選択も含まれます。
【選択肢A】自分が行動を起こして1人を犠牲にする
A.自分が行動を起こして1人を犠牲にする選択
自らレバーを引くことで、5人の命と引き換えに1人の作業員の命を奪うことになります。奪われる命の数を重視すれば、5人の命を優先させることになりますが、奪われる1つの命は、あなたがレバーを引かなければ、なくならなかった命です。本来助かるはずの命を自らの行動で奪ったという重い事実が残ります。
5人の命を優先し、自発的な行動で1人の命を奪うことは果たして許されるのでしょうか?
【選択肢B】自分は行動せず5人はそのまま犠牲になる
B.自分は行動せず5人をそのまま犠牲にする選択
トロッコの進行方向を変えなければ、トロッコはそのまま5人の作業員に衝突し、別の線路にいた作業員は無事です。たとえ5人の命を救うためでも他人の命を奪うことを良しとせず、レバーを引かない選択をする人もいれば、自分は事故とは無関係でいたいとあえて関わらない人もいるかもしれません。
ですが、どちらの場合も5人の命を救わなかったという重い事実が残ります。
2. トロッコ問題とは何を問題にしているのか?
トロッコ問題に登場するのは、線路で作業する5人と1人、そして進行方向を変えるレバーの前のあなた。1人の命を犠牲にして5人の命を救うことは正しいのか、ジレンマを抱えつつ思考を巡らせることで、命に対する自分の価値観に気づきます。
2.1. 多数を助けるために少数を犠牲にすることの是非
トロッコ問題は、イギリスの哲学者フィリッパ・フットの論文から始まり、その後、アメリカの哲学者ジュディス・ジャーヴィス・トムソンは様々なシチュエーションを加えた派生問題を考案しました。倫理学だけでなく、脳科学や法学等、学術領域を超え、少数を犠牲にして多数を救う是非が議論されてきました。
2.2. もともとは中絶問題を考える論文の例題だった
トロッコ問題は、フットが1960年代に発表した論文『中絶問題と二重結果論』に記された、中絶の是非を考える際の例題でした。
妊娠中絶は殺人だから母体が危険な状態であっても禁止するというカトリックの理論に対し、フットは違う理論で「母体に危険がある場合の妊娠中絶の正当性」を訴えようと試みました。考察のなかで示された例題のひとつが、トロッコ問題でした。
2.3. フィリッパ・フットが論文に書いたオリジナルストーリー
フットが論文で書いたトロッコ問題のオリジナルのストーリーでは、進行方向を変えるレバーはなく、制御できない路面電車の運転手が、選択を迫られる設定になっています。運転手は5人と1人、どちらの線路に突っ込むのか選択しなければなりません。
論文のなかでフットはオリジナルのストーリーの解決策を、
- 他者を助ける積極的な義務
- 他者が不利益になる行為を控える消極的な義務
この二つの義務を使って導き出しました。フット曰く、ここでの選択は消極的な義務の対立であるため、助かる命を多くする功利主義の考え方で解決すればよいそうです。
2.4. サイコパスの判定をする心理テストではない
人の命を扱うことから、サイコパスかを診断する心理テストだと勘違いされることもありますが、トロッコ問題は、サイコパスを診断するテストではありません。
インターネット上では、6人全員を殺すという過激な意見が話題になりました。どちらを救っても犠牲になる人がいて、さらに文句を言われるなら全員殺してしまえば文句は出ないだろうという極端な言い分のようです。
こうした意見が出たことで「サイコパス診断なのか?」と勘違いしている方もいるようですが、それは間違いです。
2.5. トロッコ問題をベースにした派生問題も存在している
アメリカの哲学者ジュディス・ジャーヴィス・トムソンは、フットの設定をベースに、アレンジを加えたものをいくつか考案しました。
よく知られているのが、歩道橋の太った男です。制御がきかないトロッコと5人の設定は同じですが「トロッコを見下ろす太った男が歩道橋にいる」という状況が加わります。
残酷ですがトロッコを止めるには、太った男を歩道橋から突き落として止める方法しかありません。5人を救うために太った男を犠牲にするのか、太った男を突き落とさず5人を死なせるのかを考えるというものです。
3. トロッコ問題はどう答えるのが正解か?
トロッコ問題に正解はありませんが、どんな行動を選んだかで、各人の道徳観が見えてきます。たとえば、1人より5人の命を選ぶ人は功利主義、一方理由はどうあれ人の命を奪うことを良しとしない人は義務論に従っているといえます。
3.1.「行動を起こす」を選ぶ人は「功利主義」と言われている
レバーを引くという自分の行動で5人のために1人を犠牲する立場は、功利主義だと言われます。功利主義は、イギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムが唱えた多くの人の幸せが全体の幸せに繋がるという考え方です。
功利主義に基づけば行為の内容より結果を重視し、より多くの幸福が得られる選択が正しいことになります。つまり、1人の犠牲があっても結果として、それ以上の5人の命を守ることができればよいのです。
3.2.「何もしない」を選ぶ人は「義務論」に基づく判断とされる
一方、1人を犠牲にして5人を助ける行為は倫理に則っていないと考え、レバーを引かず何もしないことを選択した人は義務論に従っているといえます。
義務論は、プロイセンの哲学者イマヌエル・カントによる道徳論で、結果ではなく過程が道徳的であるか否かを重視する考えです。状況や結果に関係なく「罪のない人間を殺してはいけない」という個人のモラルセンスが行動の判断基準となります。
3.3. 回答としてどっちが多いか?約90%がAを選ぶとの調査も
2011年12月5日にTIME.comに投稿された『Would You Kill One Person to Save Five? New Research on a Classic Debate』という記事のなかで、暴走トロッコと作業員のシチュエーションをVRで再現した場合人々がどう反応するのか、心理学者のデビットナバレットらが行った実験結果が紹介されました。
結果は、147人の参加者のうち133人、約90%がA.自分が行動を起こして1人を犠牲にする選択をしたそうです。
3.4. 日本人大学生は時間とともにBに偏る傾向があるとの調査
先ほどの研究結果からもわかるように、ほとんどの人が「A. 自分が行動を起こして1人を犠牲にする」を選択するようですが、大阪市立大学大学院の橋本博文准教授らが日本人大学生119名を対象に行った研究では、日本人大学生はAの選択、つまり功利主義的な判断を相対的に示さない傾向にあると示唆しました。
また、直観的な判断と熟考後の判断を比較すると、日本人大学生は時間をかけて熟考するほど、判断に伴う責任から逃れようとし、一人の命を犠牲にすることは許されないという義務論的判断(B. 自分は行動せず5人をそのまま犠牲にする選択)に移行するという可能性が示されました。
3.5. 正解は未だなくたびたび議論の的になっている
トロッコ問題はフィリッパ・フットの論文に登場してから、哲学以外にも脳科学や心理学など様々な分野で議論されていますが、未だ正解は見つかっていません。
日本では、2010年4月にNHK番組『ハーバード白熱教室』でマイケル・サンデル教授が取り上げたことから、トロッコ問題が一般的に知られるようになり、SNSなどで自分の意見を投稿する人も多くなりました。
最近では、第三の選択肢として全員助かる方法を紹介した投稿が話題になりました。
4. トロッコ問題の解答例を紹介
単純に人数だけを見れば、線路を切り替えて1人を犠牲にして5人を救うことがよりよい選択かもしれません。
しかし、考えれば考えるほど5人を救うためでも1人を犠牲にすることは正しい行為なのかと、自問自答が続き頭を悩ませます。このジレンマを解決するため、あえてどちらも選ばないなど2択以外の解答を提案する人も出てきました。
4.1.「全員殺す」は設定上無理…この答えはサイコパスかも
インターネットで交わされる議論のなかで、サイコパスな意見だと話題になったのが誰も助けず6人全員殺すというかなり過激な意見です。1人助けても5人助けても文句を言われるから全員を殺してしまえというわけです。しかしトロッコ問題は、線路を切り替えるかどうかの二者択一なので、この選択はできません。
また、歩道橋から太った男を突き落として5人を救うかという派生問題で迷うことなく、突き落とすことを選択した場合もサイコパスだといわれるようです。
4.2. 767万回再生のバズリをみせた「正解」?3つ目の選択肢
答えが出ないはずのトロッコ問題を解決した、とツイッターに投稿された動画が話題になりました。767万回も再生された第三の選択肢は、誰もが願う平和的な解決策でした。
4.2.1. ある答えの動画がツイートされ話題となった
鉄道のジオラマ作りが趣味だというB作さんがTwitterで投稿した第三の選択肢は、全員助かるという方法。誰一人、犠牲者を出さずにすむ画期的な方法です。
トロッコの前輪が分岐点を越えた直後に線路を切り替えることで、後輪がもう1つの線路に入り、トロッコが二つの線路上で横向きになって止まります。暴走トロッコは、作業員たちの手前で止まり、みんなが助かります。
倫理的な問題を技術力で解決した荒業ですが、誰も犠牲にならない画期的な解決策は、テレビで取り上げられ、767万回再生を記録するほど多くの人の関心を集めました。
4.2.2. B作さんの答えは「高度技術で全員救う」
B作さんの答えを実現するためには、猛スピードの暴走トロッコの前輪が通過した直後に素早く線路を切り替えるという高度な技術が必要となります。さらに、トロッコの形状にも条件があって、車軸が2本、車輪が4輪のトロッコでのみ、この方法で脱線させることができるようです。
トロッコの形状やレールを切り替える技術など条件はありますが、誰の命も奪われない第三の選択肢は、「素晴らしい」「予想外だった」など国内外から大きな反響がありました。
4.3.「6人と自分との関係による」という答え
他にも、作業員6人と自分との関係によって選択が変わるという意見もあります。
たとえば、あなたは線路を切り替えて1人を犠牲にして5人を救う選択をしたとします。しかし、線路を切り替えた先にいる1人が家族や友人だったとしても、その選択は変わりませんか?
おそらく、多くの人が家族や友人を助けるため、躊躇しながらも線路を切り替えることをやめるでしょう。
このようにトロッコ問題は、条件を少し変えることで、自分の選択がぶれてしまうという難しさがあります。ただ、トロッコ問題の前提条件には、作業員は全員赤の他人であることが含まれています。
5. トロッコ問題にまつわる話題を紹介
50年以上前に登場したトロッコ問題ですが、2010年にNHK番組『ハーバード白熱教室』で取り上げられたことで哲学に興味がなかった人たちにも知られるようになりました。
最近ではAIによる自動運転技術が発展したことで、AI時代のトロッコ問題が新たに誕生し注目されています。
5.1. トロッコ問題が現実の問題となる・AIの判断の問題
AI時代の新たなトロッコ問題は自動運転車の走行中、急に子供が飛び出してきたという設定です。車がそのまま進むと子供を轢いてしまい、それを避けたら老人を轢いてしまいます。はたしてAIにプログラミングすべきなのはどのような設定なのでしょうか?
これ以外にも現実社会では起こりうる状況は様々で、子供を避けた先に障害物があれば衝突して乗客の命を失うことになるかもしれません。また、被害者への賠償や刑事責任なども発生し、責任の所在は車の所有者なのか製造者なのか、それとも他に設定するのかといった問題もあります。
5.2. トロッコ問題を迫るゲームがある
トロッコ問題はゲーム化もされています。ゲーム名は『トロッコ問題ofアルマゲドン』。ウェブブラウザで遊べる無料のコンピュータゲームです。
地球滅亡のときが迫っているなか、地球脱出計画の人選を任されたプレーヤーが生かすべき人間はどちらなのか選択していきます。
若い人or年老いた人、犯罪歴があるが更生した人or犯罪歴はないが怠惰な生活をしている人など、次々と出題される2択に直感的に答えていくことで、自分の道徳観や思考が見えてきます。
またこのゲームをプレイした他のプレーヤーたちがどちらを選択したのか、その割合も表示されるため、自分が多数派なのか少数派なのかも確認できます。
6. まとめ
もともとは中絶問題の是非を問う論文の例題として登場したトロッコ問題ですが、AIの発達により、現実問題として議論する必要性も出てきました。究極の命の選択は人間にできないからといって、思考のプロセスがブラックボックスであるAIに任せるわけにもいきません。
これまで答えの出ない問題だとされてきましたが、今後答えを出すことを迫られる時代が来るかもしれません。