定年も年金受給開始も65歳となっている現在。今後、年齢はさらに引き上げられようとしている。高齢者の雇用環境を整える理由として政府が一貫して語るのは、「高い就業意欲を持った高齢者にとって生きがいとなるため」ということだ。しかし果たして人々は本当に、65歳を超えても働きたいと思っているだろうか。政府の本音は…。リクルートワークス研究所研究員の坂本貴志氏が解説する。 ※本連載は、書籍『統計で考える働き方の未来 ――高齢者が働き続ける国へ』(筑摩書房)より一部を抜粋・再編集したものです。
「我が国の高齢者は就業意欲が高い」…“定年引き上げ”の本音 (写真はイメージです/PIXTA)

健康寿命が伸びても、定年は60歳に据え置かれた結果

しかし、健康である限り働き続けるという過去の常識は、時代が移り変わるにつれて、消失する。年金の支給開始年齢は1974年に60歳と規定されて以降、そのままで据え置かれる長い期間があったのだ。グラフからは、1974年から2000年まで長期間にわたって年金の支給開始年齢が60歳で維持されていたことが見て取れる。

 

この結果として、2000年には健康寿命が68.9歳まで延伸して働くことができる年齢がかなり上がっていたにもかかわらず、多くの企業の定年年齢は60歳に据え置かれるという事態が発生してしまった。

 

年金支給開始年齢が据え置かれた時期は、高度経済成長期の終わってからバブル経済が終焉するまでの時期と重なっており、まさに日本経済の黄金期に当たる。この間、政府は年金財政の悪化に先手を打つために年金の支給開始年齢の引き上げを画策するも、日本経済が好調に沸くなかで政府の要求が国会を通ることはなかった。

 

この時期の年金改革の遅れが、定年後に健康に過ごせる長い時間を生みだしたのである。年金改革が遅れるなか、やがて人々の間には、定年後には悠々自適な老後が待っているものだという淡い期待が形成されることになる。

 

労働者が社会に労働という奉仕を行う代わりに、社会は労働者に幸せな老後を保障する。こうした慣習は年金改革の遅れによって生み出されたものなのだ。そして、年金改革の遅れは現在に至るまでの年金財政にも致命的な影響を与えることになった。

 

当時は、日本がここまで少子高齢化に悩まされることを誰も予想していなかった。しかし、今ではそれが現実となってしまっているのである。政府が生涯現役を叫ぶのは、この時の遅れを取り戻そうとしているからでもあるのだろう。

霞が関の本音と建て前

年金制度と定年制度は一体不可分なものとして、これまで議論されてきた。法律上、国が定年問題に正式に介入するようになったのは1986年が最初である。

 

1986年、同年以前に存在していた「中高年齢者等の雇用の促進に関する特別措置法」は、「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」(高年齢者雇用安定法/高齢法)に名称変更された。このタイミングで60歳定年が企業の努力義務とされ、法律上、定年制度に関する条項が初めて規定されることになった。