高齢オーナーに迫る「死亡リスク・認知症リスク」
空室だらけの築古賃貸物件の対策を考えているうち、オーナーが突然死したり、認知症を発症したりするケースは、決して珍しくありません。
オーナーが意思表示できる状態であれば、いくらでも対策が取れたものを、タイミングを逃したばかりに、親族はひたすら資産が目減りするのを見守るしかないといった状況になることも十分考えられるのです。
その後オーナーが亡くなり、問題のある賃貸物件を残された相続人は、精神的にも経済的にも、大変な思いをするばかりか、相続が原因で親族関係が悪化し、その後疎遠になってしまうことすらあるのです。
新麹町法律事務所の桝井眞二弁護士は、オーナーの高齢化に伴うこれらのトラブルについて、注意を喚起します。
「築古物件を処分するにしろ、建て替えるにしろ、まず必要になるのは建物請負契約や融資、保存登記等の手続きです。しかし、オーナーが認知症と診断され、意思確認が困難だと判断されれば、それも不可能になってしまいます。これがいちばんの問題です」
パナソニック ホームズ特建営業センター所長の榎本克彦氏も、築古の収益物件のオーナーの多くは事態を正視していないといいます。
「自身の病気や死といったネガティブなことは、できるだけ想像したくないのが人情かもしれません。家族にしても、うっかり本人に向かって口にすれば波風が立ちかねませんから、どんなに気掛かりでも、手をこまぬいているほかないのでしょう。また、オーナー自身に判断能力があっても、重大な病気に罹患すれば、自分のことで手いっぱいになり、やはり相続対策まで手が回りません」
高齢者なら、だれでも多少のモノ忘れ(記憶障害)が生じるため、とくに身近にいる家族の場合、認知症の発症を見極めるのは困難です。「さすがにこれは…」と思った段階では、すでに著しく判断能力が低下している可能性もあります。認知症の診断で、本人の意思確認が難しいレベルまで進行すると、不動産の管理売却ができなくなるばかりか、遺言書作成の能力もないものとみなされます。従って、なるべく早い段階で対策に着手することが重要なのです。
認知症出現率は加齢とともに上昇
日本人の平均寿命は、2020年時点で男性81.64歳、女性87.74歳。平均寿命の延長とともに、認知症出現率も上昇します。健康リスクを踏まえながら、相続について先手を打つ必要があるといえます。
「私が弁護士として立ち会ったなかでも、公正証書遺言を作成できなかった例はいくつかあります。ひとつは、入院中のオーナーから依頼を受け、遺言書作成の準備を進めていたケースです。公証役場の公証人と訪問する予定日の直前、容体が急変して意識不明となってしまい、遺言書作成は頓挫しました。その後、複数の相続人を交えた遺産分割協議は紛糾し、築古物件は〈塩漬け状態〉になってしまいました。予定していた遺言書の内容は、築古の賃貸物件の建て替えに関するものでしたが、せっかくのオーナーの思いも、実現できませんでした」(桝井弁護士)
遺言書だけでなく「家族信託」の活用も選択肢に
手遅れとなって後悔しないためにも、早めの対策が望まれます。築古物件の収益性に不満があるなら、早急に建て替えを検討するのが得策でしょう。いますぐ着手できなくても、オーナーはなるべく早く意向を明確にし、親族が困らないよう、遺言書を作成しておくのが最善です。
「認知症でなくても、高齢になったり、三大疾病を抱えることになれば、気力や体力が低下し、あれこれと決断するのが億劫になってきます。元気なうちに決めておかないと、問題が差し迫ってから対処しようとしても、希望通りにできないかもしれません」(榎本氏)
上述のように、遺言書作成が第一選択肢にはなりますが、ほかにも「家族信託」を利用する方法もあります。
「家族信託とは、〈依頼者(委託者)〉が所有する財産の所有権を受託者に移転し、財産の管理・運用・処分を家族に任せるという信託契約です。この契約を結んでおけば、認知症などで委託者の意思確認が困難になっても、受託者である家族が財産の管理・運用を進められます。信託財産より給付を受ける権利(受益権)を承継する者を指定しておくこともできますので、遺言と同じような効果が得られるのです」(桝井弁護士)
エンディングノートから始める「遺志表示」という方法も
遺言書は、本来法的拘束力のある「公正証書遺言」が望ましいとはいえ、財産価額によっては多額の費用がかかり、決められた書式や煩雑な手続きも必要です。3900円で法務局の保管所で預かってもらえる「自筆証書遺言書保管制度」を利用するほか、残された家族への気負わないメッセージと考え、法的拘束力のない「エンディングノート」をしたためる人も増えています。
財産目録だけでなく、交友関係やかかりつけ医の記録、パソコンのログインのヒントといった個人情報を残しておくと、万一の際の手続きがずっと楽になります。残された大切な人たちを悩ませることなく、スムーズな資産の承継をするにはどうすべきか、という視点を忘れないでください。
「任意後見人」と「法定後見人」はなにが違うのか?
認知症などで意思確認が難しくなった人を法的にサポートするのが「成年後見制度」と呼ばれる制度です。〈成年後見人〉に選出された人が本人に代わり、財産管理や身上保護(介護・福祉サービスの利用や施設への入所・入院の契約などの手続き)を行うというものです。
成年後見制度には、「任意後見制度」と「法定後見制度」の2種類があります。
「本人が健常なうちに自分の意思で〈任意後見人〉を選び、代行してもらいたい内容について契約を結んでおくのが『任意後見制度』です。これに対し、認知症などで判断能力が低下してから利用するのが『法定後見制度』で、家庭裁判所によって〈成年後見人〉が選出されます」(桝井弁護士)
どちらの場合も、弁護士や司法書士等の専門家から選出されるケースが主流ですが、自分をよく知る人に代行してもらいたい場合は、元気なうちに「任意後見制度」を利用するのが望ましいといえます。選出された〈成年後見人〉は、本人の利益に基づいて契約行為を代行するとともに、本人の同意なしで行われた不当な契約(詐欺行為)の取り消しにも対処します。
「ただし居住用不動産の場合、家庭裁判所から許可を得なければ、〈成年後見人〉は契約等の手続きを代行できません。許可を得るには、建て替えが被後見人のためになることが求められます」(桝井弁護士)
一例をあげるなら、月々の収入が心もとなく、金融資産が底をつく恐れがあるため、収益物件を建て替えて安定的な家賃収入を得て、今後の生活資金や介護費用に充当したい…といったケースです。
「仮に賃貸併用住宅を検討している場合、そこで生活する老親のためにエレベーターを設置するといった、バリアフリー化を目的とする理由なら、家庭裁判所が許可する可能性は高いでしょう。しかし、露骨な相続対策や、家族のメリットを重視したプランは許可されないと思ってください」(桝井弁護士)
上記のことから、あらかじめ「任意後見人」と契約を結ぶ場合も、この分野に詳しい専門家とタッグを組むことが大切です。併せて、築古物件の建て替え計画についても、将来の相続まで見据えて進めることが肝心です。
「最近の話ですが、〈いまさらローンを組んで築古物件を建て替えるのも億劫だし、2人の子どもが1つの不動産を分け合うのは難しいから〉と、さっさと売却していたお客様がいらっしゃいました。しかし、ローンを活用して中高層階の賃貸物件を2棟建設すれば、収益性の改善と相続対策を同時に果たすことも十分可能だったのです。考え方の違いとはいえ、非常にもったいない、残念なケースでした」(榎本氏)
次回は、老朽化した物件がはらむ倒壊リスクと、万一の際にオーナーに課せられる責任について、法的な見地から詳しく見ていきます。
パナソニック ホームズ株式会社
営業推進部 特建営業センター 所長
榎本 克彦
新麹町法律事務所
弁護士
桝井 眞二