共働き世帯が増える一方、家庭内の家事・育児負担には依然として男女差があります。内閣府「令和5年版男女共同参画白書」によると、6歳未満の子どもを持つ共働き夫婦では、家事関連時間の77.4%を妻が担っています。家事や育児を妻に任せきりにする夫との生活に限界を感じ、離婚を決意した43歳の女性。しかし、そんな彼女には、夫と別れるうえで一つだけ心残りがありました。※本記事に掲載している事例は、プライバシー保護および情報の一般化のため、実際の相談事例をベースに一部の数値や設定を変更・再構成したものです。
お義母さんとは離れたくないんです…〈世帯年収1,200万円〉43歳妻が離婚を決意。義母が初めて知った「息子の家庭での姿」 (※写真はイメージです/PIXTA)

〈世帯年収1,200万円〉共働き夫婦が離婚を決意するまで

神奈川県内で暮らすミナさん(43歳・仮名)は、会社員の夫・ユウジさん(45歳・仮名)と小学5年生の娘の3人家族です。ミナさんは都内のIT企業で管理職として働き、年収は約700万円。メーカー勤務の夫の年収は約500万円で、世帯年収は約1,200万円になります。

 

夫婦ともに正社員として働き、住宅ローンを返済しながら、娘の教育費や老後資金のために貯蓄も続けてきました。しかし、結婚15年目を迎えた今年、ミナさんは離婚を決意しました。

 

「夫が浮気をしたとか、借金をつくったとか、そういうことではないんです。ただ、もう夫と暮らす必要がないと思ってしまったんですよね」

 

理由は、長年にわたる家事・育児の負担でした。ユウジさんは、頼めば家事をしてくれます。ゴミ出しをお願いすればゴミを出し、洗濯物を干してほしいと言えば干してくれます。しかし、自分から家庭内の仕事を見つけて動くことはほとんどありませんでした。

 

「娘の学校行事や提出物、塾のスケジュール、習い事の月謝の管理まで、全部私です。家族旅行だって、行き先を決めてホテルや新幹線を予約するのは私。夫は『どこでもいいよ』と言うだけなんです」

 

家族旅行では、夫が希望した観光地を組み込むために予定を調整したこともありました。それでも、夫は旅行の準備を手伝おうとはしませんでした。ミナさんが何度か不満を伝えると、夫は決まってこう答えたそうです。

 

「言ってくれればやるのに」

 

その言葉を聞くたび、ミナさんは疲れを感じるようになりました。

 

「何をすべきか考えて、指示を出して、終わったか確認する。それも私の仕事なんですよね。夫は私を家庭の管理者だと思っているんです。自分も同じ家庭の当事者なのに」

「この人がいなければ、もっと楽なのでは」

離婚を具体的に考えるきっかけになったのは、夫が出張で1週間ほど家を空けたときのことでした。娘と2人で過ごす生活は、想像以上に快適だったといいます。

 

「ご飯も娘と相談して決めればいいし、洗濯も2人分。夫の帰宅時間を気にしなくていいし、夫が出しっぱなしにしたものを片づける必要もない。あれ、こっちのほうが楽じゃない? って」

 

ミナさんは自分の収入だけでも、娘と暮らしていける見通しが立つと考えていました。もちろん離婚すれば住まいや教育費、財産分与など、整理しなければならないことはあります。それでも、夫と暮らし続ける理由が見つからなくなってしまったのです。

 

「夫がいないと困ることを考えてみたんですが、ほとんど思いつかなかったんです。むしろ、夫がいないほうが家事も減る。だったら、一緒に暮らす意味って何だろうと」

 

離婚を切り出すと、ユウジさんは驚き、「これからは家事をもっとやる」と約束しました。しかし、ミナさんの気持ちは変わりませんでした。

 

「今まで何度も話してきました。もう、私が指示を出して夫を変える努力をすることにも疲れたんです」

離婚を知った義母が驚いた理由

ミナさんには、離婚にあたって心残りが一つありました。それは義母の存在です。ユウジさんの母・フミコさん(72歳・仮名)は、元小学校教員。定年まで仕事を続けながら、3人の子どもを育て上げました。ミナさんにとってフミコさんは、結婚当初から尊敬できる女性でした。

 

「仕事が大好きな人で、退職した今も地域のボランティアや読書会に参加しています。私が仕事で忙しいときも、『仕事は続けたほうがいいわよ』と応援してくれました。娘のこともかわいがってくれて、本当にいいお義母さんなんです」

 

子育てについて口出しすることもなく、ミナさんが仕事で昇進したときには、自分のことのように喜んでくれました。離婚を決めたことを伝えると、フミコさんは言葉を失ったそうです。

 

「ユウジが家のことをそんなに何もしていなかったなんて、知らなかった。あなたも仕事をしているのに……」

 

しばらく考え込んだあと、フミコさんは息子の子ども時代について話し始めました。ユウジさんは3人きょうだいの長男。幼いころは病弱で、入退院を繰り返した時期もあったそうです。

 

「私も仕事ばかりで、十分に構ってあげられなかったという思いがあったの。元気になってからも、あの子にはつい甘くなってしまって」

 

フミコさんの夫、つまりユウジさんの父親は住宅メーカーに勤める会社員で、単身赴任の期間が長く、フミコさんが仕事と子育てをほぼ一人で担っていました。忙しい毎日でしたが、病弱だった長男には特に手をかけていたといいます。ユウジさんは就職後も30歳近くまで実家で暮らしていました。その間、洗濯や食事の用意はほとんどフミコさんが引き受けていたといいます。

 

「私も仕事をしていたから、毎日忙しくてね。あの子に家事を教えるより、自分でやってしまったほうが早いと思っていたの。何でも自分でやることが当たり前になっていて、あの子が自分でできるようになる機会を奪っていたのかもしれないわ」

 

フミコさんは、結婚すれば自然と家事をするようになるだろうと考えていたそうです。ところが、ユウジさんは結婚後も、身の回りの世話をしてくれる人が母親から妻に変わっただけだったのかもしれません。