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何のために働くか、わからなくなった……
引き継ぎの日、高橋さんは30年近く担当してきた取引先に同行しました。新しい担当者は、かつて自分が指導した元部下でした。
「今後は私が窓口になります。高橋さんにもサポートしていただきますので」
取引先の担当者は、高橋さんに尋ねました。
「高橋さんは、もう担当されないんですか?」
「そういうことになりました」
それだけ答えました。会社に戻ると、元部下が言いました。
「高橋さん、今までの経緯を資料にまとめてもらえますか。僕が引き継ぐので」
高橋さんは資料を作り始めました。30年間の取引履歴。過去のトラブル。先方の担当者の性格。価格交渉の経緯。自分が長年かけて築いてきたものを、若い社員に渡す作業でした。
その日の午後、営業部で元部下たちが仕事の話をしていました。高橋さんは、その輪の外で資料を整理していました。
「高橋さん、これってどういう経緯でしたっけ?」
質問されれば答える。必要とされれば助言する。それでも、自分の名前で顧客に連絡することは、もうありません。
高橋さんは立ち上がろうとしました。そのとき、膝から力が抜けました。元部下たちが慌てて駆け寄ります。
「大丈夫ですか?」という元部下たちの声が、ずいぶんと遠くから聞こえてきます。高橋さんの頭の中を、「俺の40年、何だったんだろう。何のために働いてきたのだろう……」という思いが何度も駆け巡ります。
働く意欲が急激に落ち込んだ高橋さん。その後、会社を去る決断をしたそうです。
定年後の就労は、お金のためだけでなく生きがいを求める場でもあります。内閣府『令和8年版高齢社会白書』によると、65歳以上の日本の高齢者のうち、生きがいを感じる瞬間に「仕事に打ち込んでいる時」を挙げた割合は17.2%に上ります。また、今後も「仕事を続けたい」と望む人は39.0%と他国に比べ高い就業意欲を示しています。
一方で、男性の非正規雇用者率は55〜59歳の10.5%から、60〜64歳では39.8%へ急増しており、定年後の立場の変化、それに伴う仕事内容の変化から意欲低下に悩むシニア社員は多くいると考えられます。
シニア世代の高い就労意欲をどう活かすか。日本社会全体の問題といえそうです。