親の「自宅で暮らしたい」という切実な思いに応えることが最善とは限りません。経済的な余裕があっても防ぎきれない親の依存や共倒れの危機――。ある親子の事例から、早期の介護設計の重要性を考えます。
「お願い、置いていかないで!」〈年金月13万円・79歳母〉が絶叫。それでも〈48歳長男〉が親を〈老人ホーム〉に入れたワケ ※写真はイメージです/PIXTA

「置いていかないで!」慟哭する母

このままでは自分の家庭も仕事も破綻してしまう。そう悟った達也さんは、自費を投じて民間有料老人ホームへ母を入居させる決断をしました。探した施設は月額費用が約22万円です。節子さんの年金月13万円では不足します。不足分は母の貯蓄を取り崩す――そういう手もあったでしょう。しかし、不足分は達也さんが賄うことにしました。そうすれば、資金的なハードルは下がり、節子さんも安心するだろうと思ったのです。

 

施設の見学を終え、入居手続きを進めた達也さんは、実家で節子さんに向き合いました。「母さん、専門のスタッフがいる施設で暮らしたほうが安心だよ」と優しく切り出します。その瞬間、節子さんの表情が怒りと恐怖に歪みました。

 

「お金があるんだったら、どうして私を施設に入れるの? あなたは私を捨てて自由になりたいだけなのね!」

 

節子さんは大声で叫び、車椅子から身を乗り出すようにして達也さんの上着の袖を激しく掴みます。

 

「お願い、置いていかないで!」

 

猛烈な罪悪感が襲いかかります。しかしどんなにお金をかけても、母が求めているのは「家族が24時間そばにいてくれる環境」でした。それを叶えることは不可能だったのです。

 

現在、節子さんは施設で生活を送っています。最初の数ヵ月は自宅を離れたショックから部屋に閉じこもりがちだったそうです。しかし親身なスタッフのケアや同世代の入居者との交流を通じ、少しずつ落ち着きを取り戻しているといいます。達也さんも週末には定期的に面会へ訪れ、以前よりも穏やかな会話ができるようになりました。

 

内閣府『令和7年度 高齢社会対策総合調査』によると、心身の機能が低下し介助が必要になった場合、日本の高齢者の37.9%が「現在のまま、自宅に留まりたい」と望み、「改築の上、自宅に留まりたい」(18.1%)を合わせると過半数が自宅継続を希望しています。これに対し「老人ホームへ入居したい」は15.8%に留まります。

 

一方で、同居家族以外に「頼れる人はいない」が16.5%、「親しい友人はいない」が37.9%に上るなど、日本の高齢者は他国に比べ家族以外とのつながりが薄く、孤立や家族への過度な依存が生じやすい実態があります。在宅という本人の希望を尊重しつつも、家族が共倒れしないための早期の介護設計が重要です。