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「家族のために働いてきた」はずだった
「60歳になったら、ようやく家族との時間を取り戻せると思っていました」
そう話すのは、神奈川県内に住む佐藤正人さん(60歳・仮名)。大学卒業後、大手メーカーに入社。営業一筋で働き続け、54歳で部長へ昇進。年収は最後の数年間で約1,400万円を超えていました。朝7時前に家を出て、帰宅は午後10時を過ぎる日も珍しくありませんでした。
「仕事が忙しいのは家族のためだ」
そう信じて疑わず、娘の教育費も惜しみませんでした。
退職時に受け取った退職金3,500万円。住宅ローンは完済済みで、金融資産は預貯金を含めて約8,000万円あります。これだけあれば、もう働かなくてもいいだろう、これからは家族との時間を優先しよう――そう考えて定年を機に完全に引退する決断をしました。
定年退職から1ヵ月。出社の必要がなくなっても朝6時に目が覚めます。休みの日であれば、朝食を終えるとリビングでテレビを見ます。昼食を済ませても予定はありません。午後はソファで新聞を読み、夕方になると妻が夕食の支度を始めます。
「何か手伝おうか」と声をかけても、「いいから座っていて」と返されるだけでした。
娘の美咲さん(27歳)は社会人になってからも実家暮らしです。夕食時、妻と娘は旅行やドラマ、職場の話で盛り上がります。
「それでね、お母さん」
会話は自然に続きます。佐藤さんも口を挟もうとします。
「そういえば会社でも似たようなことがあってね」
しかし娘はスマートフォンを見たまま、「ふーん」と短く返すだけでした。会話が終わるころには、自分だけが取り残されている感覚になりました。
内閣府『令和7年度高齢社会対策総合調査(高齢者の生活と意識に関する国際比較調査)』によると、日本の高齢者が生きがい(喜びや楽しみ)を感じる時として「子供や孫など家族との団らんの時」と回答した割合は53.6%で最も高くなっています。このように退職後の生活で「家族との時間」に強い期待を寄せる高齢者は非常に多いと言えます。
しかし、現役時代に仕事一筋で家庭を顧みずに生きてきた場合、いざ完全に引退した後に家庭内での会話や役割にうまく入り込めず、望んでいたはずの団らんから孤立してしまうという深刻なギャップに直面するケースは珍しくありません。