M&Aの交渉時に見落としがちなポイント
コロナ禍以降、クリニックの開業資金は大きく膨らんでいます。かつては1億円ほどだった開業費用が、現在は1億5,000万円ほどかかるイメージです。
こうしたなか、初期投資をできるだけ抑えるために、既存のクリニックをM&Aで引き継いで開業するケースが増えています。ただ、その交渉は決して簡単ではありません。
交渉決裂の原因は「お金」だけではない
交渉が決裂する理由としてまず思い浮かぶのは「金銭面」でしょう。もちろん、金額交渉で希望額が一致しなければ成立しません。ただ、意外にも多いのが「感情面」です。
まず、売り手となるクリニックの院長は、創業者としての意識が強く、20年、30年と育て上げてきた自院に対して強い愛着を抱いています。しかし、ほぼ初対面にもかかわらず、はじめからレセプト枚数や患者数、売上、人件費など、「数字の話」をしてしまう買い手が散見されます。
さらには、「ここを改善すればもっと患者が増える」「最新の医療機器をすぐに導入したい」「スタッフの構成を変えたい」など、つい意見をしてしまう医師もいるようです。
多くの場合、買い手側は30~40代の現役バリバリの医師であり、現実味を帯びてきた開業に対して、さまざまなビジョンを思い描いているのは当然です。それ自体はいいことなのですが、話す“タイミング”を誤ると、売り手側の感情を大きく損ねてしまう可能性があります。
本人は悪気なくビジネスライクに収益改善の話をしているつもりでも、交渉の初期段階でこうした話題を持ち出すと、売り手側の院長は自身のこれまでの経営を否定されたような気持ちになるようです。
また、「上から目線に、うちを単なる投資対象として見ているのではないか」と受け取られ、心理的な反発が生まれかねません。つまり売り手は、「買い手からのリスペクト」が感じられないと、感情面で嫌いになることがあるのです。
開業を目指す医師は頭の回転が早く、経営やビジネスに対する感度も高いですから、ついストレートに言葉が出てしまいます。しかし、唐突にそういう話を持ち出すと、会話が噛み合わなくなるため注意しましょう。
まずは、売り手側の院長がどのような思いで開業し、なにを大切に経営してきたのか、スタッフとどんな関係を築いているのかといったことに関心を示し、理解し、共感する姿勢が大切です。
そのうえで、交渉がある程度進んだ段階で、新たなクリニックの経営をどうしていくかという自分のビジョンを提示すれば、売り手側の院長も「バトンを渡す相手としてふさわしい」と感じ、開業後も支援していこうという気持ちになるのではないでしょうか。
交渉に家族が関与して破談になるケースも
感情的な観点でもうひとつ、意外な盲点があります。ケースとしては多くありませんが、M&Aの交渉は売り手と買い手の先生同士だけではなく、家族が影響を及ぼすことがあります。
小規模なクリニックでは特に、院長の妻が看護師として勤務していたり、事務を担当していたりすることは珍しくありません。しかし、買い手側の医師の妻が交渉に関与し、それを売り手側の院長の妻が不愉快に思い、交渉が破談した事例があります。いわば妻同士の“場外戦”が起きてしまったわけです。
また別の例では、売り手側の院長の妻が、買い手側の医師の言動や態度に違和感を抱き、譲渡に強く反対するケースがありました。
その違和感の理由は定かではありませんが、院長本人は前向きに話を進めていたにもかかわらず、同席した妻の反対によって交渉が立ち消えになってしまったのです。
買い手は「コベナンツ(特約条項)」にも十分な配慮を
最後に、クロージング直前で破談するケースです。M&Aでは買い手がコベナンツ(特約条項)を設定するのが一般的ですが、その内容があまりに一方的すぎると、売り手側が事業譲渡を拒否することがあります。
クリニックのM&Aでは、経営の早期安定を目指し、売り手側の院長に一定期間勤務医として残ってもらうことも少なくありません。
週に何日勤務か、期間は1年なのか2年なのかなど、その条件はさまざまですが、たとえば「リタイアして今後はゆっくりしたい」と考え譲渡を希望する院長に対して、「週3日、5年間働いてほしい」といった条件を提示しても、売り手側の院長は受け入れがたいでしょう。
コベナンツは必要なものですが、買い手が経営上のリスクを懸念しすぎるあまり条件を厳しくすると、最終局面で交渉が決裂することもあるため注意が必要です。
「売り手の想いを汲む姿勢」が交渉成功のカギ
M&Aはビジネスの取引ですから、経済合理性が求められます。前述したような患者数や収益、人件費なども、交渉過程で絶対に確認すべきことです。
ただし、「タイミング」や「話し方」などには細心の注意を払いましょう。一般の中小企業のM&Aでも、社長同士の相性、経営理念への共感など感情的な要素が大事になりますが、クリニックの場合はそれ以上に、売り手側の院長の思いを汲むことがスムーズな取引につながります。
開業医の多くは、地域医療を守るという強い使命感や、患者に寄り添った医療を提供することを大事にしています。そうした「想い」を置き去りにしてビジネスライクに話を進めようとすると、交渉は失敗しかねません。
実務上、売り手本人はもちろん、その家族など、意外なところに“地雷”が潜んでいると感じます。M&Aでクリニック開業を目指す医師は、こうした点にも十分に配慮することが大切です。
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著者:野田 智成
グロースリンク税理士法人 税理士/医療経営コンサルタント
提供:© Medical LIVES / シャープファイナンス
