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別居5年…末っ子の大卒を期に夫婦終了
都内の大手メーカーで働いていた田中浩一さん(60歳、仮名)は、年収1,200万円を超える管理職でした。
大学卒業後に入社し、営業畑一筋。海外赴任も経験し、50代中盤には役員候補と呼ばれる立場にまで上り詰めました。ちょうどそのころ、結婚30年の妻・恵子さん(仮名)と離婚することになったのです。
「末っ子が大学を卒業するタイミングでした。すでに5年ほど別居していたので、よいタイミングだったと思います」
もっとも、そのときの田中さんは、自分が「離婚された側」であるという認識を持っていませんでした。
「夫婦なんてそんなものだろうと思っていました。子育ても終わったし、お互い自由に暮らしたほうが気楽だろうと」
離婚協議は比較的淡々と進みました。財産分与の対象となったのは、預貯金や投資信託、自宅売却後の資金だけではありません。定年まで数年という状況だったため、将来受け取る予定の退職金も協議の対象になったのです。
「正直、そこまで分けるのかと思いました」
結局、当時の預貯金と自宅売却後の残余資産、合わせて5,500万円のうち3,200万円が妻側に財産分与されました。それでも2,300万円近くが残っています。老後資金が不足するわけでもありません。しかし、定年後の生活設計は大きく修正を迫られることになったのです。
実際、離婚後しばらくは不自由を感じませんでした。都内の賃貸マンションに移り住み、仕事に没頭する毎日です。朝は6時半に起き、夜は接待や会食。帰宅は終電近くになることも珍しくありません。家にいる時間は短く、一人であることを意識する余裕もありませんでした。
ただ、その5年間で少しずつ変わったものがありました。子どもたちとの距離です。長女も長男も大人なので、自由に連絡を取り合うことができます。それでも徐々に連絡の頻度は落ちていきました。
誕生日。
父の日。
孫が生まれた報告。
そうした家族の出来事が、いつしか自分にはリアルタイムには届かなくなっていったのです。
「別に仲が悪いわけじゃないと思っていました」
そう振り返る田中さんですが、ある年の正月、子どもたちが母親の家には集合したことを、あとから知ったときは、さすがに胸がざわついたといいます。
「当たり前ですが、誘われなかったんですよね」
そう言って苦笑しました。別に正月に母親の家に集合することは構わない。しかし年末年始のタイミングで、父親に会おうとは思わなかったのか――対応の差に、愕然としたのです。
「仕方がありません。私は典型的な仕事人間で、家族とのコミュニケーションは希薄でした。父親とはいえ、一緒にいても話が続かない」
離婚後、長女から一度だけ言われた言葉があります。
「お父さんは、お金だけ出していればそれでいい、と思っていたんじゃない?」
返す言葉がありませんでした。