孫のおねだりを「初めて断った日」
異変に気づいたのは昨年の夏でした。正夫さんが通帳を眺めながら言いました。
「思ったより減ってるな……」
定期預金を取り崩した回数は、この5年間で7回。旅行や家電の買い替えだけでは説明がつかず、家計簿を見返すと、孫関連の支出が重く積み重なっていました。
「このままじゃまずいかもしれないな」
そう話したものの、その数週間後には翔太くんの誕生日がありました。プレゼントは4万3,000円の自転車。その後の食事会も夫妻が支払い、会計は約2万5,000円でした。
その帰り際、翔太くんが何気なく言いました。
「次はゲーム買ってね」
正夫さんは少しだけ困った顔で「それは難しいかな」と答えます。初めての拒絶に、翔太くんは不思議そうな顔をしました。
「なんで?」
「お金も大事だからね」
すると翔太くんは祖父の顔を見つめながら聞きました。
「おじいちゃん、もうお金ないの?」
その瞬間、正夫さんは作り笑いを浮かべるしかありませんでした。悪意はなく、ただ子どもらしい率直な疑問。しかし夫妻には重く響きました。これまで欲しいと言われれば常に買い、行きたいと言われればどこへでも連れて行しました。祖父母とはそういう存在だと、翔太くんは理解していたのです。
夕食の席は妙に静かでした。娘の美咲さんが気まずそうに口を開きました。
「本当、無理しないでね」
正夫さんは苦笑しました。
「わかってるよ」
その言葉のあとに続く本音は飲み込みました。誰かに頼まれたわけではなく、自分たちが勝手に始めて続けてきたことです。断る場面はいくらでもあったはずですが、それでも孫が喜ぶ顔を見るたびに財布を開いてしまいました。
現在、高橋夫妻の金融資産は1,600万円を下回っています。老後が破綻する水準ではありません。それでも正夫さんの頭には、これから先の医療費や介護費用が浮かびます。
今月末も翔太くんは遊びに来る予定です。また何か欲しいって言われたら、たぶん、また悩むだろう。孫はかわいい、だからこそ難しい――高橋夫妻はいまも、老後資金と孫への愛情の間で揺れ続けています。