(※写真はイメージです/PIXTA)
東京本社への栄転を機に決意した「共依存」からの脱却
40歳の大台を過ぎたころから、A子さんの心には暗い影が広がりはじめます。「考えてみれば、これまで我慢や諦めの人生だったかも」。そんな思いが頭をよぎるようになったのです。
「私の人生はなんなんだろう」
「このまま50代・60代になって、そのうち母親の介護をしながら過ごすようになるんだろうか」
行き場のない不満と将来への強い不安が彼女を襲います。もしいまの生活に本格的な「介護」の負担がのしかかれば、手のかかる母親のことですから、A子さんの仕事やキャリアに壊滅的な影響が出るのは目に見えています。そうなれば収入が減るだけでなく、自分自身の老後資金を蓄えることすらできなくなってしまうでしょう。
「このままでは私の人生は本当に詰むわ」そんな生々しい恐怖が、A子さんの背中を強く押しました。焦燥感から、次第に母親との関係性にも刺々しい空気が流れはじめます。
そんなある日、A子さんに東京本社への栄転の話が舞い込んできました。営業成績もよく、取引先企業や部下からも信頼の厚いA子さんに、東京本社で新設される部門の女性管理職として、白羽の矢が立ったのです。もともとに対する上昇志向が強かったA子さんにとって、非常に名誉な話です。管理職としての責任は重くなりますが、仕事のやりがいは格段に上がり、なにより毎月の収入もアップします。
母親を置いていく罪悪感と、今度こそ自分の人生を取り戻したい思いが、彼女の胸の中で激しくぶつかり合いました。最終的にA子さんの背中を押したのは、「これが最後のチャンスかもしれない」という切迫した決意。
実家のある北関東と東京は、決して通えない距離ではありません。しかし、本社の管理職となれば残業は避けられず、終電を逃す日が出てくることも容易に想像できました。毎日の激務をこなしながら遠距離通勤を続けるのは、体力的にも現実的ではありません。終電に間に合わない日が出てくることなども考え、A子さんは熟考の末、実家を出て東京で一人暮らしを始めることを決断します。
「このままベッタリと一緒にいたら、自分だけでなく、結果的に母のためにもならない」
親に頼り、夫に頼り、そして今度は一人娘に頼り続けてきた母親です。一人で生活していくことがどれほど困難か、A子さんには痛いほどわかっており、後ろ髪を引かれる思いでしたが、あえて冷たく突き放す道を選びました。
A子さんが東京行きを告げると、母親は予想どおり激しく泣き叫び、A子さんの腕を掴んで子どものように転居を拒みました。A子さんは何度も母親の手を振り払い、少し落ち着いたタイミングを見計らいながら、病院への行き方や機械の操作方法などを根気強く教えました。また、転居後も週末などにはできるだけ様子を見に帰ることを約束し、母親の高校時代の友達などにも気にかけてもらえるよう声をかけて、「生活費で足りない分は仕送りするからね」と約束。そうやって一つひとつの不安を潰すように約束を交わし、A子さんはついに東京への転勤を実現させたのです。