(※写真はイメージです/PIXTA)
身軽さを求めた「狭い賃貸」への引っ越し
ユウジさんとミサトさんは、互いにフルタイムで働く共働き夫婦でした。結婚と出産が早かったため、子どもたちの独立も周囲より早い段階で迎えました。
かつては子どもを育てるために戸建ての購入を検討した時期もありましたが、若いころに深刻なご近所トラブルに巻き込まれた経験から、二人は「持ち家はリスクになる。いざとなったらすぐに引っ越せる、身軽な賃貸派でいよう」と意見を一致させました。
子どもたちが完全に自立してからは、それまで住んでいたファミリー向けの物件を出ることに。
「子どももいないし、広い家は掃除が大変なだけ。家は狭いほうが管理も楽だしね」
さらに当時は、お互いに現役で働いていたものの、仕事の帰宅時間や休日などの生活サイクルがバラバラでした。食事をとる時間も起床・就寝時間も各自がバラバラという生活が常態化していたため、あえて都市部の手狭な間取りのマンションへ引っ越したのです。
お互いの気配を適度に感じつつも、干渉し合わない「すれ違いの生活」。この絶妙な距離感があったからこそ、狭い家での暮らしは当時の二人にとって非常に快適で、合理的な選択でした。
65歳、同時に迎えた定年…逃げ場のない「1日24時間」
二人の関係性に致命的な変化が訪れたのは、お互いが65歳になり、同時に定年退職を迎えたときでした。朝、目を覚ましてから夜眠りにつくまで、1日24時間、狭い家の中で四六時中、膝を突き合わせる生活が始まったのです。
もともと、ユウジさんにとってミサトさんは「自立していて、サバサバした良妻」でした。ところが定年退職後、妻の印象は徐々に変化していきます。
最初は「あれ、ミサトってこんな人だったけ?」程度のものでした。ユウジさんがソファでスマートフォンをみていると、「またそんなダラダラして。無職になったんだから、もっと有意義なことしたら?」と言い放ちます。テレビのチャンネルを変えれば「それ面白くないから戻して」、お茶を淹れれば「茶漉しの洗い方が汚い。不衛生なものを飲ませないで」と、細かな小言とダメ出しが飛んできます。
日常の些細なことがユウジさんに塵積もっていくのです。また、ミサトさんの「ねえ、今日のお昼なににする?」「明日はどうするの?」という、悪気のない問いかけも段々と癪に障るようになります。
「もう少し広い家に引っ越して、それぞれの個室を作れば解決するのかもしれない」ユウジさんもそう考えようとしました。しかし、毎日顔を合わせ、否定され続けるうちに、ユウジさんのなかでなにかが決定的に切れてしまう瞬間を迎えます。
「違う。間取りの問題じゃない。俺はもう、声を聞くのも、顔を見るのも、生理的に無理になってしまったんだ」
家の狭さはきっかけに過ぎず、ユウジさんは「ミサトさんという人間そのもの」が完全に嫌になってしまっていました。