(※写真はイメージです/PIXTA)
定年あとの再会を拒んだ妻の真意
都内大手メーカーで定年を迎えた高橋健太郎さん(60歳・仮名)。3月末の最終出社日、「部長、お疲れ様でした!」と、部下から大きなカサブランカの花束を贈られ、会社をあとにしました。「これでようやく一区切りだ」と達成感を覚えながら帰路についた健太郎さん。しかし「長い間、お疲れ様でした!」と家族が出迎え、乾杯をする――そんなシーンは、そこにはありませんでした。
その日の夜、自宅に妻の幸子さん(58歳・仮名)の姿はありません。幸子さんは1年前から、地方にある実家で母親の介護をするために帰省していたからです。健太郎さんは「近いうちに帰ってきて、定年を祝ってくれるだろう」と楽観視していたといいます。
1ヵ月ほど経てば、3,600万円ほどの退職金が振り込まれる。少しくらい、贅沢をしてもいいだろう――。そんなことを思いながら、LINEで無事に定年を迎えたことを幸子さんに伝えました。しかし、既読はつくものの返信はなし。異変を確信したのはそれから3日後、一通の内容証明郵便が自宅に届いたときでした。差出人は弁護士でした。
「封を切ると、そこには離婚協議の申し入れが記されていました。一瞬、何かの間違いかと思いましたが、弁護士を通じて伝えられた妻の意思は、思いもしないものでした。彼女は『介護を理由に家を出た日から、二度とあの家には戻らないと決めていた』と言っていたそうです」
健太郎さんにとって、幸子さんが家を空けているのは「一時的な介護帰省」でした。しかし、幸子さんの胸中には、長年にわたる根深い不信感が積み重なっていたといいます。契機となったのは10年前、健太郎さんの母親、つまり幸子さんにとっての義母を自宅で看取った際のことです。当時、健太郎さんは仕事の繁忙期を理由に、介護のすべてを幸子さんに任せきりにしていました。
「母とはずっと同居していましたし、私は仕事で忙しいのだから、介護は妻が担うのが当然だと思っていました。たまに意見を求められても、それぞれの役割があるのだからと『任せるよ』とだけ伝えていたんです。私が手を貸せることなんてほとんどないのに、口だけ出しても……という思いもありました。彼女はその頃から、私との老後を共に過ごすことを諦めていたようです」
今回の幸子さんの実母の介護についても、健太郎さんは我関せずと、帰省を快諾しました。しかし、幸子さんにとってその別居期間は、介護に専念するためではなく、健太郎さんとの縁を切るための準備期間に他なりませんでした。
「妻は弁護士を通じて『お義母さんのときも、私の母のときも、あなたは常に他人事。私はもう、高橋家の人間としての役割を終えたい』と言っています。今さら『これからは二人で過ごそう』と言ったところで、彼女の中には私の居場所など1ミリも残っていないようです」
