相続=口座凍結というイメージが強いですが、実は「まったくお金が引き出せないわけではない」ということをご存じでしょうか。法改正によって、遺産分割協議の前でも一部の預金を引き出せる仕組みが整っています。しかし、「銀行にお金があるから大丈夫」と過信するのは禁物です。特に、相続人が多いほど注意が必要で……。本記事では、FP事務所MoneySmith代表の吉野裕一氏が、父を亡くした佐藤由美さん(仮名)の事例とともに制度のリアルな限界と、家族を守るための本当の備えを解説します。※個人の特定を避けるため、事例の一部を改変しています。
銀行員「あなたは8万3,000円しか引き出せません」口座には150万円あるが、父の葬儀代・120万円が下ろせない…実家暮らしの54歳娘が銀行窓口で突きつけられた“非情なルール”【FPが解説】 (※写真はイメージです/PIXTA)

父の葬儀代を下ろせない

佐藤由美(仮名/54歳)さんは、実家で婿養子を迎えて、大学生の子ども2人と夫、父の源三さん(仮名)、母の和子さん(仮名)とともに実家を二世帯に改装して暮らしていました。由美さんには妹と弟がいますが、2人とも家を出て、遠方で家族を築いており、実家のことは長女である由美さんが中心となって支えていたそうです。

 

両親も80歳を過ぎ、健康面への不安を抱えていました。さらに、現役のころは自営業を営んでいたため、公的年金が少なく、金銭面での不安もある状態でした。

 

そんな折、父・源三さんが体調を崩して入院。入院と退院を繰り返す生活の末、他界します。母・和子さんはすっかり力を落としてしまいました。そのため、由美さんが葬儀の段取りや親戚への連絡などを、すべて一人で仕切ることになったのです。

 

葬儀も無事に終了し、初七日も終えたころ、由美さんは葬儀社への費用を支払うために銀行へ向かいます。「父の通帳にあるお金で支払おう」――そう考えていた由美さんを待っていたのは、窓口の行員から告げられた非情な言葉でした。

 

「申し訳ありませんが、この口座は名義人の方が亡くなられているので、凍結されて引き出すことができません」

 

葬儀代は120万円。父の通帳には150万円あり、十分足りると思っていたのに……。由美さんは連日の心労も祟り、一瞬、目がくらみそうになるような感覚に陥りました。

 

口座は凍結されると、相続人全員の戸籍謄本や印鑑証明書などの書類を揃わないと、再び預金を引き出すことができなくなります。

2019年の法改正「遺産分割前の払い戻し制度」でも、救えない現実

相続が発生するとまったくお金を引き出せないと思っている人も多いと思います。確かに、2019年6月までは、金融機関は、口座名義人が亡くなられたことが判明した場合に、口座引き落としなども含めてすべての取引が停止されていました。

 

しかし、まったくお金が引き出せないと、故人とともに生活をしていた人の生活が立ち行かなくなったり、今回のような葬儀代の支払いに困ったりしてしまいます。そこで2019年7月、法改正により「遺産分割前の払い戻し制度」がスタートしました。これは、一金融機関で最大150万円までであれば、遺産分割が終了する前でも引き出せるという制度です。引き出せる金額は、口座ごとに次の計算式で算出します。

 

払戻可能額=相続開始時の預金額×1/3×払戻する相続人の法定相続分