老後の備えとして注目を集める新NISAですが、平穏な日々を揺るがすこともあります。特に、退職という大きな節目を目前に控えた時期は、現役世代とは異なるリスク管理が求められます。ある男性のケースから、ライフステージに応じた投資判断の重要性を考えます。
もう逃げたい…月収48万円・定年目前の59歳会社員、新NISAの誤算「定期預金のままでよかった」 (※写真はイメージです/PIXTA)

老後資金を簡単に増やせると思っていた…

スマートフォンの証券アプリを開くたび、松井健一さん(仮名・59歳)は重いため息をつきます。かつては増えていた資産の評価額は、今では投資元本を下回る水準を推移しています。

 

都内の中堅メーカーで働き、現在の月収は48万円。5月末には定年退職を控えています。老後の不安を打ち消そうと始めた新NISAでしたが、その決断は、想像とは異なる形で彼の心に重くのしかかっていました。

 

画面に並ぶ数字の変化に、心が休まらない日々が続いています。松井さんが投資を決意したのは、2024年秋。新NISAへの関心が高まり、「米国株中心の長期投資が有利」という情報が広く出回っていた時期でした。

 

「老後資金を少しでも増やしたい。その思いだけでした。周りはNISA、NISAと騒いでいたし、私でも簡単にお金を増やせるものだと思っていました」

 

妻を説得し、ようやく得た理解。定年を目前に控えた今だからこそ、少しでも資産を増やしておきたいという焦りもありました。2024年11月、松井さんはまとまった資金を投じます。米国の代表的な株価指数に連動する投資信託に約200万円、日本株に約40万円を配分し、合計240万円を短期間で投資しました。

 

そのスタートは、決して悪いものではありませんでした。投資直後、相場は比較的堅調に推移し、資産は一時260万円前後まで増加します。「やはりやってよかった」。そう感じたのも無理はありません。これまでほとんど運用経験のなかった松井さんにとって、初めて目にする「資産が増える感覚」でした。

 

しかし、その期待は長くは続きませんでした。2025年に入ると、市場環境は徐々に変化します。インフレ圧力の再燃や金利の高止まりへの警戒感が広がり、株価は調整局面へと移行。上昇していた資産は、時間をかけて少しずつ削られていきました。一度は得られていた含み益は消え、評価額は再び元本付近へ。さらに為替の変動も影響し、円ベースでは元本を割り込む場面も増えていきます。

 

「増えていたものが減っていくのを見るのは、想像以上につらいですね」

 

松井さんはそう漏らします。現在、資産は220万円から240万円前後の間を行き来する状態が続いています。数字だけを見れば致命的な損失ではありません。しかし、一度増えた資産が減っていく過程は、精神的に大きな負担となっていました。

 

本来、定年を目前に控えた時期は、資産を守る運用へと徐々にシフトしていくタイミングとされます。しかし松井さんは、「時間がない」という思いから一括投資という選択を取りました。「積立では間に合わない」と考えた結果の決断でしたが、それは同時に、短期的な値動きの影響をダイレクトに受けるポジションでもありました。さらに、勤務先で導入されている確定拠出年金(企業型DC)でも米国株を中心に運用していたため、資産全体が同じ方向に動いてしまう構造になっていました。

 

「値動きに一喜一憂ばかりして、心が休まらない。定年直前にこの状況はきついですね。もう、こんな状況から早く逃げたい、でも踏ん切りもつかない……。正直、こんなことになるなら、定期預金のままでもよかったと思ってしまいます」